2011年12月31日土曜日

The Ladino Novel


Alpert, Michael, 2010. 'The Ladino Novel', European Judaism 43(2), pp. 52-62.

前回紹介した論文と同じ号の論文ですが、European Judaismのこの号はセファラディー文学(口承ではない)特集です。コンパクトに各方面の論文がまとまってて、しかも2010年出版なので 各分野の研究動向が分かって助かります。

さて、メジャーではないですがユダヤ・スペイン語にも所謂「小説」があります。
数はそんなに多くないですが、100年くらい前の初版本とかは今でも時々出回ってます(ページ数の割に値段が張るので私は買いませんが)。
ユダヤ・スペイン語圏にこの「小説」が出現し消滅するのは、大体20世紀前半、特に青年トルコ革命が起きた1908年から20年代終にかけて。アリアンス等がオスマン領内に入ってきて近代との出会いを果たしてから少し間があるのは、新聞出版と連動してること、そして1902年まで「窃盗・殺人・愛」(p. 56)というテーマを含む出版物(ユダヤ・スペイン語の小説はこれらのテーマを扱うことが多い)を、オスマン側が検閲によって禁止したからのようです。

この論文では有名な小説家として二人、Elia Karmona(1869イスタンブル生、1932年同地にて逝去)とAlexandre Ben-Ghiat(1869年頃?生、1923年イズミルにて逝去)を挙げています。この二人はかろうじて私も名前は知っています。
二人とも出版業を兼任してることから分かるように、この時代新聞と小説は不可分でした。新聞の売上(購読)を増やすために連載小説を載せるというのはいつの時代でも常套手段ですね。

Elia Karmonaは有力家系の生まれ、幼少児にはユダヤ教教育を受け、11歳からは4年間アリアンスの学校に通います。その後フランス語の家庭教師をしますが家計が苦しくなり父が社会的に没落、それに伴って彼も家庭教師の職を失い、自身路上でマッチ売りをするまでに落ち込みます。幸いにしてその後El Tyempo紙の編集の職を得ますが、給料が十分でないという理由からサロニカ、イズミル、カイロにまで一人旅に出ます。しかしながらあまりうまくいかなかったようで、結局El Tyempoの編集者として1908年まで務めます。小説自体は1899年から書いており、彼の手による作品は50を数えるとのこと(p. 56)。
彼の名前が有名なのは(そして私が知ってる理由は)、1908年より彼がEl Djugueton紙をほぼ週刊で1932年まで発行したことによります。El Djugetonの記事はいくつか読んだことがありますが、なかなかに面白いです。また紹介できればと思います。

Alexandre Ben-GhiatはEl meseret紙を出版したことで名高いですが、それよりも彼の作品によって有名なのでしょうか。彼の小説作品は1ダースほどですが、その中でもLa Mujer Honestaが有名です。この作品は近代西欧で見られたような「自立した女性」を描いたもののようです(p. 58)。

さて、「Ladino Novel」をどう評価すべきか、という段になり筆者は、例えばイディッシュ文学と比較してしまうとどうしてもイマイチ、と結論します(p. 59)。現実社会とその問題に肉薄するようなことも、読者の知性に揺さぶりをかけるようなことも残念ながらあまりなく、さらにセファラディーの近代人はアシュケナズィーと違いユダヤ教の素養も薄く、またアシュケナズィーがドイツ語・ロシア語圏へ容易にアクセスできるのに大して、セファラディーは近代西欧へのアクセスとしてフランス語でしかできなかった、という点も問題として指摘しています(p. 59)。

少しばかり寂しい結論ですが、それでも物珍しさも加わって一時の間かなりの数(250~500)の作品(オリジナル・翻訳・折衷)の作品が出回ったようで、数は少ないですが英語への翻訳もあるようです。
Michael Alpert, The Chaste Wife, Nottinfham: Five Leaves

2011年12月30日金曜日

The History of the Me'am Lo'ez

Meyhuas Ginio, Alisa, 2010. 'The History of The Me'am Lo'ez: a Ladino commentary on the Bible', European Judaism 43(2), pp. 117-125.

これからは読んだ論文もちょこちょこまとめていこうと思います。
日本では(でも)全く知られていませんが、複数の著者による、「Me'am Lo'ez メ・アム・ロエズ」(書名は詩篇114篇1節に取材)という非常に重要なセファラディーの文学作品があります。この作品は聖書の一節一節(実際はパラシャー毎にまとめられている)に沿った「エンサイクロペディア」とも呼ばれる作品で、古今のアガダー・ハラハーのみならず、天文学や民話にまでも取材し、それぞれの作者自身の言も含まれます。
論文の構成とは前後しますが、まずは基本的な成立・出版状況について(pp. 122-124)。Elena RomeroによるとMe'am Lo'ezの歴史は三段階、古典期・過渡期・新期に分かれるとのこと。

古典期。ラビ・ヤアコーヴ・フーリー(Rabbi Ya'akov Khuli)1689年エルサレム生まれ、1732年イスタンブル没)主導のもと行われましたが、1730年に創世記を出版し、続いて出エジプトの途中まで出版した後に病に倒れ、その後その仕事は 数世代に亘って受け継がれます。エディルネのラビでダヤンであったラビ・イツハク・マグリッソ(Rabbi Yitzhak Magrisso)は1733年に出エジプトの続きを完成させ、レビ記と民数記をそれぞれ1753年、1764年に完成させます。その後エルサレムのラビ・イツハク・シュマリア・アルグエテが申命記を部分的に完成させ、1773年にイスタンブルで出版。
五書についてのMe'am Lo'ezは以上創世記2冊、出エジプト記2冊、レビ記・民数記・申命記各一冊の計7冊になります。

過渡期。その後19世紀に入り五書だけでなく、預言書・諸書に関しても部分的に仕事がなされるようになります。通常五書以外のMe'am Lo'ezは「質が落ちる」と語られますが、その辺はどう違うのか、二次資料を当たり始めた現時点の自分にはよくわかりません。
ヨシュアについて記したのはエディルネのラビ・ラハミーム・メナヘム・ミトラニ。彼は1844年に作業を始め、一巻の初版をサロニカにて1851年に出版(二版は1867年同地)、その後作業途中の原稿を1862年の火事で消失、露土戦争の戦果を避けて1866年にエルサレムに移住するなどかなり苦労したようですが(p.123)、最終的に1867年彼が死去した後、作業を手伝っていた息子が完成させ1870年にイズミルで出版します。また、エステルについてはあんまり触れられていませんが、イズミルのダヤン、ラビ・ラファエル・ハイイム・フォントリモリ(Rabbi Rafael Chaim Fontrimoli)によって出版されています。この論文では出版年が抜けていますが、おそらく1864年が初版でしょう。

新期。過渡期と新期を分けるのは近代と西欧啓蒙の影響が見られるか否かという点のようです。個人的には過渡期の年代も、1839年のタンズィマート後なので怪しいような気もしますが、今後の課題です。なんにせよラファエル・ベンヴェニステがルツを記し1882年にサロニカで出版、イツハク・イェフダー・アバがイザヤについて記したのが1892年サロニカにて。コヘレトは少し変わっていて、2バージョンあります。シュロモー・ハ・コヘンが「ヘシェク・シュロモー」と名付けたものは1893年エルサレムで出版。ニスィム・モシェ・アブドゥが「オツァル・ホフマー」と名付けたものがイスタンブルにて1898年出版。どうも後者の方が前者よりも包括的だとか(p. 123)。ただ、この論文ではヘシェク・シュロモーもMe'am Lo'ezに含めていますが、Rabbi Aryeh Kaplanなんかは含めていないようです。最後は雅歌で、ハイイム・イツハク・シャキー(この人個人的にずっと気になってます)の手によって1899年イスタンブルで出版。

以上が伝統的なMe'am Lo'ezの歴史です。ヘブライ語や英語訳が聖書全体にわたってあるため、もともとユダヤ・スペイン語であると思いがちですが、実はそんなことありません。というのはMe'am Lo'ez(Yalkut Me'am Lo'ez)のヘブライ語への訳者であるラビ・シュムエル・イェルシャルミー・クロイツァー(Rabbi Shemuel Yerushalmi Kreuzer)がMe'am Lo'ezのプロジェクトの理念を引き継ぎ、ユダヤ・スペイン語で記されてない聖書の他の書物全てに、今度はヘブライ語で記したのでした(p. 124)。


さて、Me'am Lo'ezの画期的だった点はなんといっても「万人が理解できるユダヤスペイン語で、万人(’para el hamon ha'am’, Me'am Lo'ez: p.7)に対して、包括的にラビユダヤ教の伝統的知識・観点を提示した」という点にあります(p. 119)。
それまでのセファルディー社会では重要な著作はほとんどヘブライ語で書かれ(ヨセフ・カロのシュルハン・アルーフを思い出されるとよいと思います)、それに関するユダヤスペイン語訳はあったものの、次第に大多数のセファルディーたちは経済的後退とともに文化的後退も余儀なくされ、ヘブライ語書物へのアクセスができなくなっていきます。フーリーの時代には彼自身がMe'am Lo'ezの序文(ヘブライ語とユダヤスペイン語がある)で述べているように、子々孫々受け継がれてきた書物は各家庭にあるものの、ヘブライ語にアクセスできないために埃まみれになってる、家に帰っても読める本がない、毎週土曜の礼拝でも自分が何を言ってるのか分からない等々、という看過できない状況だったようです。フーリーの上記記述は聖なる言語ヘブライ語でなく俗語・ユダヤスペイン語で著作・翻訳をする正当性を他のラビ達に納得させるという意図もあったかと思いますが、結果としてMe'am Lo'ezは爆発的に普及したようです。「他の本はなくともMe'am Lo'ezだけは持ってる」というような家庭も多かったとのこと(この手の話は至るところにでてくる)。
Me'am Lo'ezはユダヤスペイン語、その当時のセファラディーの万人が理解できる言語で書かれていたため、今までユダヤ教の伝統的知識の享受者でなかった女性に対して大きな役割を果たし、たとえ文盲であったとしても読み上げられるのを聴くことで、女性のユダヤ教理解に多大な貢献を果たしたとのことです(p. 120)。この観点に関しては著者が別の論文で書いているようなので、また紹介できればと思います。


最新の論文の割には特に新知見があるとか、結論が用意されているというのではなかったですが、Me'am Lo'ezの持つ重要性がコンパクトに述べられて有用だと思いました。

2011年12月25日日曜日

リトアニアのエルサレム

西暦の今年末に、次の本が出版されます。
余計なお世話でしょうけど、イスラエルやイスラーム諸国じゃあるまいし、何もキリスト教歴のこんなド年末に出さなくてもいいと思うのですが…。

Jerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural HistoryJerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural History
Jerold C. Frakes

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概略は以下の通り。

Yerusholayim d'lite: di yidishe kultur in der lite (Jerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural History) by Jerold C. Frakes contains cultural, literary, and historical readings in Yiddish that vividly chronicle the central role Vilnius (Lithuania) played in Jewish culture throughout the past five centuries. It includes many examples of Yiddish literature, historiography, sociology, and linguistics written by and about Litvaks and includes work by prominent Yiddish poets, novelists, raconteurs, journalists, and scholars. In addition, Frakes has supplemented the primary texts with many short essays that contextualize Yiddish cultural figures, movements, and historical events. Designed especially for intermediate and advanced readers of Yiddish (from the second-year of instruction), each text is individually glossed, including not only English definitions, but also basic grammatical information that will enable intermediate readers to progress to an advanced reading ability. Because of its unique content, Yerusholayim d'lite will be of interest not only to university students of Yiddish language, literature, and culture, but it will be an invaluable resource for scholars and Yiddish reading groups and clubs worldwide, as well as for all general readers interested in Yiddish-language culture.


以上の説明から分かるように、基本的には中級者、文法をある程度終わった人向けのようですが、とても興味があります。
私の力では今はまだ手も足も出ませんが、来年中には読めるようになる…といいな、と思っています。
ちなみにイディッシュ学において、方言や生活習慣といったものに基づいたサブグループは、基本的にリトアニア・ポーランド・ガリシアに三分類されるようですが、この場合の「リトアニア」とは歴史的リトアニアのいかなる領土とも一致するわけではありません。従って上の「Litvak」はヴィルナ周辺のアシュケナズィーのみならず、ミンスクあたりまでも含むことになります。イディッシュのリトアニア・ポーランド方言の境目はゲフィルテフィッシュの味つけ等とも一致するというのが面白いですね。

なお、著者は以下のような同じく興味深い本も出版しています。こういう本は、興味はあるんだけどそこまで専門じゃないし…という人が手に取りやすくてすごく助かりますね。

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ちなみに「リトアニアのエルサレム」とは上にも書いてますが、ミトナグディームの代表である「ヴィルナのガオン」ことRabbi Eliya Shlomo Zalmanで有名なヴィルナ、ヴィリニュスのことです。ところで「〜のエルサレム」って多いですね。どれだけあるんでしょうか。バルカンのエルサレムとかエチオピアのエルサレムとかは聞いたことあります。

ヴィリニュスは去年の秋に、本物のエルサレムから旅行で少し訪れました。
リトアニアを歴史的なユダヤ教の中心地として紹介する日本人のブログ等はまだまだ少ないでしょうから、機会があればまた写真等で紹介できればと思います。

2011年12月23日金曜日

ラビとの懇談

昨日はこちらにお住まいのアメリカ系ラビさんに、ハラハー(ユダヤ教宗教法規)講読の前の導入として、(現代)ユダヤ教の基本を講義してもらいました。ご本人はもう70を超えておられるのですが、矍鑠(かくしゃく)としており、説明・ポイントが明確で分かりやすい講義でした。

ラビさんが仰られたことは、宗教としてのユダヤ教のコアの部分。究極的には入門書等に「書いてある」ことなんですが、こういうコアの部分というのは、人生を賭したその実践者が、自分の面前で、自分(達)に向かって口伝してもらうことによって、初めて自分の血となり肉となるものだと思っています。勿論もうこの世には存在しない人間からも学ぶことは出来ますが、やはり口伝してもらった方が、凡人としては体に残ります。


ラビさんのお話では、聴衆が日本人で必ずしもユダヤ教を専門に勉強してきたわけではない人をも対象にしているためか、基本的な、宗教としてのユダヤ教を説明して下さいました。以下は自分なりに理解したところのもので、ラビさん本人の言や考えとは必ずしも一致していないかも知れませんが、どうぞご海容ください。



まずは「宗教」と「哲学」の違い。両概念、特に前者については個々の宗教学者の議論などに深入りすると永遠に終わらなくなりそうなので置いておきますが、ラビさんの理解によると、宗教とは信仰体系と行動(規範)体系を合わせたもの。哲学とは創造主を認めず、世界のみを考察し、思惟の対象とするもの。
哲学と宗教の違いについて、そして宗教と信仰・行動の関係を説明するものとして、ここがユダヤ教ぽいのですが、創世記の1章と2章を引き合いに出して説明して下さいました。

文献学としての近代聖書学の出発点の一つでもあるので有名な話ですが、創世記1章と2章では「神」を指示する語が違います。創世記1章では神はאלוהים(エロヒーム、なおヘブライ語表記はクティーブ・マレー)によって指示されますが、他方2章では突如יהוה(「みだりに神の名を唱えない」ため伝統的にアドナイと発音します)、正確にはיהוה אלוהיםとして指示されます。

そのことを踏まえた上で、まずラビさんはאלוהיםがヘブライ語形態論としては複数形になっていることに注目し、これを「神の諸力」と解釈します。
(なおこの解釈がどこに由来するかは不勉強なため知りませんが、イスラームにおける99の神名أسماء الله الحسنى‎を連想させ、なんとなく中世の頃かな、と愚考しますが知ってる方がおられたらご教示下さい。)
そしてこの「神の諸力」により宇宙・この世・世界・自然が創造されたとされます。創世記一章のポイントである、「創造主」と「世界」、この両者を分離し、信仰やそれによる行動を伴わなず、「世界」を考察・思惟対象にするのがすなわち「哲学」であり、他方この「創造主」と「世界」を結びつけるのが「宗教」である、と。

そして第二章に至って「創造者」としての神、即ちאלוהיםという呼称だけでなく、その前に「יהוה」がつきます。アドナイאדונייというのはヘブライ語で「我らの主」という意味。ここに至り、創造主אלוהיםとしての神だけでなく、被造物である人間の造物主、信仰対象אדונייとしての神、という告白であるという解釈が成し得ます。この創世記第二章の「神」の呼称の変化をラビさんは「信仰」の開始であると解釈します。つまり第一章では「創造主(の諸力)」と「世界」を結びつけ「宗教」となり、二章でその「創造主」を「我らが主、創造主」と呼称が変更され、「信仰」が発露し、告白される、そしてその「信仰」とは「創造主」の「言葉」を前提し、その「創造主の言葉」が「行動規範」を定めている、とのこと。



他にも様々なことを話して頂きましたが、もう一点、私がした質問「ユダヤ教における祈りの目的とはなにか」という回答をご紹介します。

まず「祈り」תפילהの語根であるפללはラビさんによると本来「話す」の意とのこと。これに基づいて祈りとは即ち「神と語る」ことである、と。そしてその祈りの内実は三つに大別され、「PAT」と覚えると良い、と教えてくれました。PATとは即ち to praise, to ask, and to thank。

また先の議論にも関係しますが、伝統的にはシェマアの祈り、すなわち申命記6章4〜9節のうちの「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(5節、新共同訳)の「בכל לבבך ובכל נפשך ובכל מאודך(心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし)」というのは伝統的なユダヤ教の解釈では、「mind, feeling, behavior」を尽くし祈れ、即ちここでも「祈り」は単なる「信仰」の領域に留まらず、「行動」、実践にも結びついているとのこと。



キリスト教については多少は皆知ってるだろうという思いがあるのか、終始この「行動(規範)」ということに強調が置かれたお話でした。
おまけとして、「ラビとはそもそも何か」という自己紹介の話で、「菩薩のようなものです」と仰ってたのが印象的でした。

2011年12月19日月曜日

平成23年度日本語教育能力検定試験

この前10月に1ヶ月弱ほど帰国した折、特に切羽詰って必要だというのではないのですが、前から興味はあったので平成23年度日本語教育能力検定試験を受けてきました。
本日、幸いにして合格したとの報を実家より受けました。
ホームページ(http://www.jees.or.jp/jltct/result.htm)で確認しましたが、今年は合格者最多で、合格率も最大(26.6%)だったみたいですね。いい年に当たりました。
受験経験なし・独学でしたが、高い受験料を払って無事に合格できてひと安心です。
忘れないうちに実践的な面を記録しておこうと思います。

まず、今年度から試験傾向が変わりました。
過去問と比較する限り、公式声明通り出題範囲が変わったというよりも、「基礎項目」を定めることにより重点を置く部分が明確化されたという印象です。来年度試験がどう出るのかは分かりませんが、個人的には去年度までの方がマークシートで点を取りやすかったような気がしないでもありません。
今年度は、「日本語の構造」というコアの部分は当たり前として、言語教育法・実技というプラクティカルな面での出題が今までよりもかなり多くなったと感じました。
反面、暗記すれば点を取りやすい異文化接触、異文化理解、社会言語学、言語習得等は少なかったように感じます。時事的な、up-to-dateな話題は例年どおり出題されました。
今年の最低基準が何点で自分が何点かは分かりませんが(過去は振り返らない主義です)、手応えは結構ありました。

10月に試験を受けてからイスラエルに戻り、そこからセメスターが始まって忙しくなったのでもう遙か彼方昔のような感じがしますが、当日は実質試験時間に比べて待機時間や休憩時間が多く、8時間くらい大学の椅子に座ってた記憶があります。前日まともに寝れなかったので辛かったです。あと、例年通り若い男性は少なく、年齢層は高め。席は後ろから二番目でしたが、聴解の音声が聞こえにくいということは特にありませんでした。



これから勉強を始ようとする人がおられるかも知れませんので、個人的な経過も書いておこうと思います。

検定試験3つのセッションに別れ、1セッション:マークシート、2セッション:聴解、3セッション:マークシート及び記述となり、計4時間の長丁場、240点満点、うち聴解が40点、記述が20点です。

まず、独学で合格した上での感想ですが、ある程度戦略を練ってやるべきことをちゃんとすれば、早い人(つまり基礎学力があって勉強に慣れてる人)は一ヶ月程度の勉強期間でも合格可能だと思いました。

私自身は余裕を持って半年くらい前から始めましたが、それは使用した教材のためです。NAFL(http://shop.alc.co.jp/course/ld/)の教材を中古でまとめて入手したのですが、リンク先をご覧になればお分かりのとおり、24冊もあります。内容自体はコンパクトにまとまっており(失礼ながら執筆者によって出来不出来はもちろんありますが)、広く(浅く)出題範囲の9割くらいは完全にカバーすることができると思います。残り1割は上述した日本語教育に関する時事問題及びカバーしきれない問題──例えば危機言語に関する問題で「現在地球上の言語の大部分は消滅に向かってるが、その速度や如何?」という問題、この問題を出すのはどうかと思いますが、デイヴィッド・クリスタル『消滅する言語』に従って二週間に一言語という解答──です。

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私は教材自身が面白そうだったのと、検定合格は一つの目安で、そもそも言語学・日本語学・日本語教育学に興味があったので、この24冊を文字通り真面目に最初から最後まで読んだため、結構時間がかかりました。
ただ当たり前の話ですが、この24冊全てが等しい割合で出題されるはずもないので、検定合格が目標であればこの24冊全てに等しい時間をかける必要はなく、むしろ効率が悪いと言えます。

日本語文法、教授法、音声学が最重点のため、日本語文法・音声学は補助教材・問題集を追加してガンガンやった方が良いと思います。特に音声学・聴解は全くの初歩から始める場合原理をしっかり抑える必要があるので、ごまかしが効かないので必ず勉強する必要があります。

去年まではそれに加え、第二言語習得や中間言語、 異文化適応や異文化理解、学習心理学等の基礎的な問題が結構たくさん出題されてましたが、今年は例年に比べて出題が少なかった気がします。この分野も語句を覚えれば必ず点が取れるので落としたくないところですね。
日本語史は個人的に興味があるのですが残念ながらあまり出ません。例年日本語教育史、特に明治以降が結構細かいところまで出題されて驚いた覚えがありますが、今年はさっぱり出ませんでした。

あとは細かい問題が時事も含めて色々出ますが、事前学習で対処しようのないものも結構多いです。対照言語学も結構出るのですが、そもそも私のように韓国語や中国語が分からないと解きようのない問題もありますので、これは韓国語・中国語学習者用のボーナス問題と考えて諦める他ないかも知れません。他にも各国言語事情・言語政策も時々出ますが、有名どころ以外をしっかりカバーするのは大変だと思います。今年はなんかタイが多かったです。この辺りはどれだけ幅広い知識を持ってるかを測っているのでしょうか。一般言語学、言語類型論等は以前に増して問題数が減ってる印象を受けます(得意分野なので稼ぎどころなのですが…)。あまりに「広く浅く」しすぎた反省なのでしょうか、今年は「日本語教師能力検定試験」という原点に立ち戻って日本語学・日本語教育学に集中していこうという意気込みが見られた試験でした。

とりあえず、日本語学一般(文法)、教授法・実習、音声・聴解を最重要と考えて勉強して、過去問をひたすら解きながらそれ以外の分野の出題傾向を把握して勉強すれば、そんな滅茶苦茶に難しい試験でもないので、できる人なら一〜二ヶ月でも大丈夫だと思います。

副教材として、
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このシリーズが読み物としても面白かったので中古で何冊か集めて読んでました。

もし検定試験を来年受けようと思っている人がおられたら、頑張ってください。
現役の日本語教師の方、いつもお疲れ様です。

2011年12月18日日曜日

ウルパンとは何か

日本語でウルパンのことについて書かれたページはそこそこありますが、私も色々思いつくままに書いてみようと思います。なお、このエントリーは学問的なものではなく単なる個人的体験記のまとめのようなものですのでご了承下さい。



まずそもそもウルパンとは、ヘブライ語学校のことです。
基本的にはイスラエルにアリヤー(帰還)したユダヤ人を念頭に置いているようですが、今はまあ別にユダヤ人であろうがなかろうが、授業料さえ納めれば基本的に誰でも入れます。「急に興味が湧いたため、趣味で少しヘブライ語をば」とかでも問題ありません(私のケースです)。

大体街ウルパン、大学ウルパン、キブツウルパン等に大別(そういう公式のカテゴリーがあるわけではない)され、多少はウルパンの性格や受講者の傾向、目的が変わるようです。私は全部行ったことはありませんが、どうも話を聞く限りそのようです。
語学「学校」ですので、想像できるように公立・私立に分かれます。私立は独自に色々していますが、公立と違って補助金が出ないため、値段が高くなる傾向があります。

レベルは共通してアレフ、ベート、ギメル、ダレット、ヘー、ヴァヴと、ヘブライ語アレフベート(アルファベット)の順に6段階まであります(公式にはヴァヴで終わり)が、必ずしも学校間で完全に同じレベルではない場合があるらしく、やっぱりレベルの上下や重点の置きどころの違いがあるようです。勿論最終的には自分が頑張って実力をつければ問題ないですが。

私が今までに参加したことがあるのは、ヘブライ大学 アレフ、ダレット、ヘー(以上夏の二ヶ月集中コース)、ヴァヴ(セメスター、現在進行形)、街ウルパンの一週間集中コースです。他のは他の人が参加したのを参考に聞いたくらいです。
街ウルパンの一週間集中コースは置いておいて、ヘブライ大でのウルパンの様子をメモがてら書いていこうと思います。


・期間、時間

通常、夏の集中コースだと二ヶ月(今年は一ヶ月+一ヶ月という換算方法)、セメスターだと1セメスター(三ヶ月ほど)で1レベルが終わります。順調にいけば。
時間は夏の集中コースだと、年によりけりですが、一日210分〜255分(75・60・75、 90・75・90)を週に5日、つまり平日毎日(日曜〜木曜)勉強します。この一日あたりの時間は実体験なのですが、アレフ、ダレット、ヘーと上がるにつれて、偶然なのですが毎回一日あたり時間数が増えて、最終的にヘーでは死ぬかと思いました。週末が来る前に終末が来るのではと錯覚したことは一度や二度ではありません。
なお、イスラエルではハイファを除いて金曜の夕方から安息日に入ると公共交通機関が止まるので、観光的なことは頑張らない限り出来ません。下手すると空港と嘆きの壁と大学しか知らない、ということにもなりかねませんので注意。

セメスターウルパンは、レベルによるんですがガクッと授業時間が減ります。夏しか知らない身としては驚愕です。ヴァヴは一番少なくて、週二日、90分x4(2コマずつ)。夏の255分x5日を経験した身としては、あんまり勉強してる気になりません。


・教授法

基本的にすべて直接法(ヘブライ語でヘブライ語を教える)です。が、とはいってもアレフ、ベートの教科書(共通)では単語の説明等は英語です。効率を考えて高校程度の単語力はさすがに欲しいところ。
あと、下のレベルであればあるほどペアワークが多いです。このペアワークが人によっては苦痛なので、ペアワークになると何処へか消える人もいます。


・人数

ケースバイケースですが、他の語学学校と同様、下のレベルほど多いです。ヘブライ語の特徴として、特に大学の夏集中コースの場合、アメリカ系ユダヤ人が夏休みだしお勉強がてらチョロッと行ってみようか、て感じの参加者が非常に多いです。教室の人数はこれもケースバイケースですが、多くて20人超。多いです。
ハイファ大とかだと人数制限をもっと厳しくしている(1クラス12人までとか)みたいなので面倒見はそちらの方がいいかも知れません。


・場所

ヘブライ大で受ける場合は当たり前ですがエルサレムのヘブライ大、外国人別科棟で受ける場合と本科の教室で受ける場合の2パターンを経験しました。
どちらにせよ、部屋が狭いとか広いとか以前に机と椅子が使いにくい。なんであんな使いにくいんだ?あと、アジア人には冷房がキツ過ぎるのが普通。要羽織りです。


・参加者

様々です。
ヘブライ大学で言えば、パレスチナではなくイスラエルの大学(つまりヘブライ語が必要)の進学を考えてるアラブ人、上述した若いアメリカ系ユダヤ人(アメリカ在住)、カトリックの神父、聖書学やユダヤ学選考のドイツ人(プロテスタント)、イスラエルに移民した新移民(既に数年在住)、プロテスタント韓国人(全レベルを通して多い)、クリスチャン日本人、インド人のシスター(マラヤーラム、マラーティー、ヒンディー、ベンガル語を操る)、交換留学で来ている中国人・フィンランド人、日本人、外交関係者、教授、物好き(日本人に多い)、パレスチナ研究者、NGO / NPOスタッフ等々、ズラズラとリストが続きます。
喧嘩はあんまりしません。


・寝床

通常は、最近まとめて建てた、大学から徒歩10分ほどの新しい学生寮に入ることが多いですが(普通に申し込むとそこに入れられる)、私はその学生寮にいると生気を吸われる体質になってしまったので、実際にはそこで暮らしたことはありません。通常は5人用フラットで、個室です。埋まらなくて二人だけになったりすることもあるようです。セメスター中にメンバーが入れ替わることも多々あるようです。
私の場合は、アレフ、ダレットの時は、今思えば滅茶苦茶ですが、東エルサレム・旧市街近くの安宿に泊まってそこからバスで通ってました。今は家を借りてます。


・値段

移民でない限り、特に補助や学割といったものは効きません。あってもいいと思うんですが。
これもケースバイケースですが、ヘブライ大学の場合夏の2ヶ月間集中コースは、2012年度夏の集中は2200US$とのこと。ここ数年、おそらく毎年値上げしてます。
学生寮は同じく2012年度は2ヶ月で1120US$とのこと。
http://overseas.huji.ac.il/hebfees


・教育方針

街ウルパンの場合、基本コンセプトが「イスラエルで暮らす」「イスラエル市民になる」、大学では加えてアカデミックなものが加わります。そもそもが新移民にヘブライ語とイスラエルに関することを叩き込むためのもののようですので、全レベルを通じて文法重視というよりはコミュニカティブアプローチ、単語重視です。とにかく喋る、単語を繋げる、というのが初級レベルの特徴。文法事項の学習はするにはしますが、日本でのように文法重視という感じではありません。なお、動詞変化や構文は、復習も兼ねてか同じようなことを毎レベルやったりします。


・宿題

夏は山のように出ます。
特に今年の夏のヘーは酷かったです(褒めてます)。普通に毎日4,5時間かかってました。
先生にもよると思いますが、セメスターは思ったより出ません。
街は分かりませんが、大学ウルパンに関しては「プロイェクト」というでかい宿題みたいなのが最後に出ます。ダレットに参加した年がプロイェクトのみならず、追加テキストや特別講義もキブツ関係ばっかりでうんざりした記憶があります。


・評価

出席、課題提出、小テスト、中間テスト、選択授業、プロイェクト、期末テストによって査定。なお惜しくもギリギリ基準点に達しなかった場合でも、追試を受けたりすることができるようです。基本的には頑張って通してやろうという心積もりらしく、「基本的にウルパンの先生と採点者はシャマイ派というよりはヒレル派なんだ」と言っているのを聞いたことがあります。


・教科書

アレフ、ベートは共通の一冊本で、それより上のレベルはその時々によって違いますが、普通は二冊以上、リーディング用と文法(動詞・構文に分かれることが多い)用になります。
教科書の内容としては「立派なイスラエル市民になるため」の内容が盛り沢山で、多分ヘブライ語の特徴だと思うんですが、要求される言語外知識がかなり多いです。たとえばアレフの半ば辺りで既にマイモニデス(中世の思想・哲学・医者)がどうしたとか、メアシェアリーム(エルサレムのユダヤ教超正統派地区)がどうしたとかが出てきますし、期末試験のリーディングの内容は死海文書でした。英語に例えると、中一の二学期中間試験で『カンタベリ物語』がお題として(当然リライトされて)出るようなもんでしょうか…。ベートではミドラシュとかヤヌス・コルチャックやアレフベートの起源等が出てきてた気がします。内容は、個人的には工夫されててどれも面白いと思います。
ヘーの教科書では「諸国民の中の義人」、杉原千畝(正確には奥さんのインタビュー)なんかも出てきました。


・言語外知識

の要求レベルが高いと上に書きましたが、最低限基礎的なイスラエル史、ユダヤ教、ユダヤ教の祭り・習慣、聖書、キブツ、シオニズム、イスラーム、地理、国際政治、19〜20世紀ヨーロッパ史等の知識がゼロだと、テキストを読んだ時、初見では「???」となることが多いかも知れません。勿論全部を全部カバーできるはずはありませんが、テキストは「立派なイスラエル市民としての教養」を要求してきます。
個人的な経験として、ヘーのテキストで、「これだーれだ?」という問題で当てられたのが、なんとか派(忘れた)のハシディズム(18世紀以来の東欧発のユダヤ教敬虔主義運動)のレッべ(指導者)で、さっぱり分からなかった思い出があります。クラスの半分以上は分かってたみたいですが。その前のミッキーマウスを当ててくれたら良かったのに。
また、アレフで親族名称を学習する課で、普通に族長を使って教えてくるため、当時聖書も読んだことがなかった身としては大変でした。「イサクから見てアブラハムはなんでしょう?」「(皆で)おとうさーん」とか、「じゃあヤコブから見てアブラハムは?」「(再び皆で)まごー」とかこんな具合に創世記の知識を前提に授業を進めてたので大変でした。


・選択授業

他のとこはどうか知りませんが、ギメルより上のレベルだと、夏のヘブライ大では(今年からセメスターも)アカデミックな内容の「選択授業」をどれか一つ取ります。個人的にはこれ大好きです。ダレットで取ったのは「19世紀エルサレム史」、ヘーは「ヘブライ語史」、ヴァヴは「聖書学の論文を読む」です。他にも「イスラエル社会心理学」「新聞を読む」「聖書の登場人物たち」「ユダヤ教入門」「イスラエル歌謡入門」等がありましたが、一つしか選べません。
ある程度レベルが上なので、レアリア(生素材)がガンガン出てきたりします。選択授業も通常の授業と同じように小テストがあったり、期末試験に相当するでかい宿題が出たりします。私の時は夏は週2コマ、セメスターは週1コマでした。ダレット、ヘー、ヴァヴで取ったこれらの授業はどれも凄く面白かったので、いずれ紹介できればと思っています。

選択授業とは少し違いますが、それとは別に通常の授業の時間を使って映画を観たり、ホールに移動して皆で歌を歌ったりします。概して日本人(やドイツ人)にはこの歌の授業が不評のようですが、私は大好きです。この歌の授業のおかげで音楽の趣味が広がりました。




以上、ダラダラと長く書きましたが、ウルパン、イスラエルのヘブライ語教授のレベルは、他の言語教授と比較して、非常に洗練されてレベルが高いと思っております。正直「ハズレ」の先生や教材に当たったことがありません(残念ながら他の言語では何度も当たりました)。先生も慣れてますし、進め方もうまく、なによりやる気が続きます(私の場合)。大局的に見てモチベーションの上下やきついと思うことはあるものの、今までヘブライ語を一度も嫌いと思ったことがなく、趣味で始めて「楽しいから」という理由でここまでこれたのは、ウルパン自体の質が全体的に高かったためだと思ってます。

2011年12月17日土曜日

Paloma Díaz-Mas, Sephardim

風邪は大体ましになりました。
まだ頭痛がしたりと本調子ではないですが、イスラエルでは特に(キリスト教暦の)年末年始の長期休み等は、ハヌカーという祭りを除いてないので頑張っていきたいと思います。

Sephardim: The Jews from SpainSephardim: The Jews from Spain
Paloma Diaz-Mas George K. Zuckre

Univ of Chicago Pr (Tx) 1993-02
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この本は題名が題名だからか、セファラディー(1492年にスペインを追放されたユダヤ人の子孫)関係の「入門書」としてよく勧められます。著者はスペイン人で、上に紹介しているのは英訳版ですが、参考文献にスペイン語文献・論文が多いので、スペイン語資料・スペイン語圏での研究の参考になるという特徴があります。
章立ては以下の通り。

1. Historical Background
  Jews in the Iberian Peninsula
  Sephardic Judaism

2. History of the Sephardim
  Exile to Christian Countries
  Sephardim in the East
  Sephardim in Morocco
  The Second Diaspora

3. Language
  Jewish Languages and the Speech of Spanish Jews in the Middle Ages
  Exile
  The Names of the Language
  Ladino
  Judeo-Spanish: A Fossilized Language?
  Haketia: Moroccan Judeo-Spanish
  Language Registers
  Current Status
  The Writing System

4. Literature
  The Bible and Religious Literature
  The Coplas
  Traditional Genres
  Adopted Genres

5. Sephardim and Spain
  Spain's Reaction to the Sephardim
  Sephardic Reaction to Spain

6. The Sephardim today
  Current Worldwide Status
  Sephardim in Spain
  Sephardic Studies

200ページ強の本ですが、結構ボリュームがあり、通読するのに結構時間がかかってしまいました。
「入門書」としてバランスが取れているのかどうか判断しかねますが、個人的な関心が言語・文学で、本書はちょうどその部分にページをかなり割いてくれているので良かったです。逆に歴史は手薄です。また、本書はあくまでも1492年の追放後のセファルディーを対象としているため、中世スペイン史についてはサラっと触れられているだけですので、その方面のことを知りたい方は別の書籍にあたって下さい。

特に文学で「Copla」という、私の理解ではヘブライ文学におけるピユートに少し似たジャンルがあるのですが、著者がこの分野の専門らしく詳述されていて興味深く読みました。Coplaは大体18世紀に入ったあたりから登場し始め、19世紀には盛況を極める、つまりユダヤ・スペイン語文学の最盛期と軌を一にするもので、20世紀初頭まで続くもので、内容は多岐に亘ります。聖書・ユダヤ教を題材として、一般大衆の教化を目的としたものもあれば、倫理徳目の涵養を歌ったものあり、オスマン帝国が近代との邂逅を果たした後は近代批判、あるいは歴史を扱ったもの、聖者伝(ラビや殉教者)を詠んだもの、シオニズム勃興後はアリヤー(イスラエルの地への「帰還」)を賞賛するものもあり、変わり種としては「料理のレシピ」まであるとのこと。また、セファラディー文学の正統から少し離れたところ、つまりシャブタイ派やその後のドンメ(シャブタイ・ツヴィへの追随者としてムスリム(マ)に改宗したユダヤ人及びその子孫)が書いたCoplaもあるそうです。

セファラディー文学で一番有名なのは、Ramón Menéndez Pidalの収集に代表されるロマンスでしょう(マドリッドのArchivo Menédes pidalにあるとか)。私自身も例に漏れず、セファラディーに一番はじめに興味を持ったきっかけはRomanceroでした。そのRomanceroですが、シャブタイ派及びドンメのものはまたそれぞれ存在するとのこと(同一のものとして扱うべきなのか否かはまだよくわかりません)。話はずれますが、この前エルサレムの古本屋で偶然お会いした研究者によれば、「シャブタイ派のロマンス及びそのメロディーは恐ろしいくらいに美しい」。これは気になります。

その他にもセファラディーによる彼らの言語意識の証言や、19世紀後半によるスペインのセファラディー「発見」及びその後に続くAngel Pulidoの"Los Israelitas Españolas y el Idioma Castellano"及び"Españoles sin Patria y La Raza Sefardí"の出版(1904, 1905)とその反応、フランコ政権時代の対ユダヤ人政策、等非常に興味深い・魅力的なテーマを紹介してくれておりますが、また復習がてらまとめたいと思います。

2011年12月11日日曜日

風邪

こういうことは滅多にないんですが、今月頭くらいに風邪を引いてしまったらしく、実に一週間以上も寝こんでおりました。
悪寒と発熱で日常生活が全てストップする日が続き、その後も治らないままズルズルと長引いていました。聞けば周りの人も同じような症状。皆総じて長期化するらしく、37度〜38度半ばくらいまで発熱しているようです。
授業を結構休んでしまったのが痛いですが、再発しない程度に頑張ります。みなさまもお気をつけて。

2011年11月25日金曜日

kiwa / hotobori

小学校から大学まで一緒だった友人がこの度ソロ名義でCDを出すことになりました。パチパチパチ。買ってください。

hotoborihotobori
kiwa

Balen Disc 2011-12-21
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試聴はこちらで出来ます。
http://soundcloud.com/takahisa-umehara

以下、紹介文。


balen disc から1st アルバムをリリースしたpolyphonic parachute のギタリスト、takahisa umehara のソロ名義『kiwa』による1st ソロアルバム。

サイケデリックで高濃度のpolyphonic parachute とは全く違う、明後日の方を向いた平常心サウンドからJim O'Rourke、John Fahey などに影響を受けた自身のバックグラウンドを明言するかの様な裸のギターソロや多重録音、打ち込み無しの手打ち三拍子テクノ、夕暮れ河川敷ダブ、トライバルにも聞こえるサイケデリックギタードローンなど、端っこで好き放題録り溜めたひとりぼっち宅録アルバム。

polyphonic parachute の相方、yuki kaneko によるお節介が介入した痕跡の見え隠れする楽曲もあり、彼によるポストプロダクションや、polyphonic parachute のアルバムに引き続き藤谷宏美が担当するアートワークはtakahisa umehara の"ひとりぼっち感"を奇妙に歪め、"バンドのギタリストが作るソロアルバム"というスタンスを強調しつつも、不思議なトータリティを醸しだしている。

このアルバムはtakahisa umehara の意外なセンチメンタルさと雑食性、それとは裏腹にギタリストとしての愚直さを鮮やかに露呈した上で、何故だか驚くほどに風通しの良いPOP な仕上がりになっている。




以上です。
トクマルシューゴとかエレクトロニカ方面が好みの方に特にオススメ。

2011年11月24日木曜日

日本学術会議公開シンポジウム

以下の内容で、日本学術会議の公開シンポジウムがあるようです。
参加自由・参加費無料ですので、お近くの方でお時間のある人は是非参加してみて下さい。
(そして内容を教えてください)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本学術会議
公開シンポジウム「いま、ともに、古典(伝統知)に学ぶ意義を、考える―現代文明の危機をのりこえるために―」

1. 主催:日本学術会議哲学委員会・日本哲学系諸学会連合・日本宗教研究諸学会連合

2. 日時:平成23年12月3日(土)13:00~17:00

3. 場所:日本学術会議講堂

※営団地下鉄千代田線「乃木坂」駅5番出口を出て左、徒歩1分。

プ ロ グ ラ ム

司会 丸井 浩 (日本学術会議会員、東京大学教授/インド哲学)

小島 毅 (日本学術会議連携会員、東京大学教授/中国思想)

13:00~13:10 開会挨拶

野家 啓一(日本学術会議哲学委員会委員長、東北大学理事/哲学)

13:10~14:40 報 告(各パネリスト20分)

手島 勲矢(日本学術会議連携会員、関西大学非常勤講師/ユダヤ思想)

「対話する科学のための二つの名前:中世ユダヤの伝統知から」

三中 信宏(農業環境技術研究所上席研究員/東京大学教授/進化生物学)

「科学的思考と民俗知識体系の共存:進化するサイエンスの源を振り返る」

岡田 真美子(日本学術会議連携会員、兵庫県立大学教授/環境宗教学・地域ネットワーク論)

「地域ネットワークに生きる伝承知の重み」

服部 英二(地球システム・倫理学会会長/哲学・比較文明学)

「現代文明の危機と伝統知」


14:40~15:20 討議者(ディスカッサント)のコメント:全体討論に向けて

中島 隆博(日本学術会議連携会員、東京大学准教授/中国思想)

村澤真保呂(龍谷大学准教授/社会思想史)


15:20~15:40 休 憩

15:40~16:55 全体討議

16:55~17:00 閉会挨拶  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2011年11月20日日曜日

My Sweet Canary

ヘブライ大学の先生二人に薦められて、「My Sweet Canary」という映画を週末に観に行きました。実はエルサレムで映画を観るのは初めてです。
(公式ホームページはこちら:http://www.mysweetcanary.com/


この映画はRosa Eskenazy(19世紀末〜1980)という、セファラディー系(1492年にスペインから追放されたユダヤ人の子孫)女性歌手を巡るドキュメンタリー。三人のミュージシャンとともに、彼女の生まれ故郷イスタンブル、家庭の経済苦のために移り住んだサロニカ(テッサロニキ)、その後活動の中心となったアテネ、を、彼女の作曲した様々な曲の演奏を交つつ巡るロードムービー。

この人のことを不勉強故全く知らなかったのですが、かなり興味深いというかなんというか、激動の人生を生きた人だなあ、という感想です。
音楽的には、これまた不勉強でよく知らないのですが、ギリシャの大衆音楽で20世紀前半から大きな影響を持った「Rebetiko」というジャンルのディーヴァ的存在で、誰からも愛されていたそうです。

彼女はユダヤ人の家庭に生まれたのですが、ユダヤ人であるという意識は希薄だったらしく、10代後半でキリスト教徒の男性と恋に落ち、駆け落ちして結婚したようです。その数年後に乳飲み子を残し夫はこの世を去ってしまうのですが、彼女は女手ひとつで子どもを育てながら歌手として生きていくのは不可能だと判断、子どもを手放します。

その後音楽的な成功を求めアテネに移り、そこでミュージシャンとして大成します。
しかしながらそうこうするうちに1940年にはイタリアがギリシャに侵略、その翌年の1941年にはナチスドイツにより制圧されます。
当時恋仲だったドイツ人上級将校の協力もあり、彼女はそれでも演奏を続け、偽の洗礼証明書を手に入れ、1942年には彼女自身のナイトクラブまで作ります。また対ナチ活動としてパルチザンを匿い、ユダヤ人を助け、彼女の家族もアウシュヴィッツ行きの移送列車から救います。

しかしそれも長くは続かず、ついに正体がバレ、三ヶ月ほど投獄された後、恋糸のドイツ人高級将校、及びギリシャ空軍に所属していた実子の助けによって放免、その後地下に潜伏したまま第二次世界大戦の終結を待ちます。

戦後は30歳年下の男性と結婚したり、アメリカツアーを行ったりとしましたが、60年代は活動が沈静化。その後あらためて音楽活動に精を出しますが、最期は孤独のうちに死んでいったようです。

激動の20世紀を生きた、一人の女性の軌跡。

イスラエルで作られた映画の割にはユダヤ色・セファラディー色・ユダヤスペイン語色がそんなに強くありませんでしたが、興味深く観ました。音楽も良かったのでサントラも購入。
日本で観れるようになるかどうかは分かりませんが、もし機会があれば是非。ヤスミーン・レヴィも出てますよ。




2011年11月19日土曜日

Travels to Yemen

エルサレムにイスラーム美術博物館(http://www.islamicart.co.il/en/travels_to_yemen_en.asp)というのがあるのですが、昨日そこの企画展「Travels to Yemen 1987-2008」に行ってきました。
そんなに大きくない美術館の特設なのでこじんまりとしてましたが、個人的にはこれくらいの方が一枚一枚の写真やキャプションをじっくり見れるので好きです。

個人的に面白いと思った写真は、ユダヤ人のお爺さんが聖書を上下逆さにして読んでいる写真。初め一瞬ヘブライ語が読めずに読んでるふりをしたのかと思っていましたが(失礼)、伝統の長いイエメン・ユダヤ人社会でそんなことが起きるはずはなく、彼らは上下逆さだろうが読むのに支障はないとのこと。
製本された「本」自体が貴重だったので、一度に一冊の本を複数人で読むために、このような「技術」が発達したらしく、本が十分にある現在も、伝統として次世代にもこの「技術」が伝えられているとのこと。面白いですね。

「次世代」と上に書きましたが、現在にもイエメンには数百人程度の規模でユダヤ人が残っているそうで、そのユダヤ人達はサトマール派(ユダヤ教の敬虔主義運動であるハスィディズム派の一派で、ナトレイ・カルタと同じようにイスラエル国家の存在を認めない)の援助を受けているそうです。(ラビ・)ユダヤ教に反する(と彼らが考える)国民国家イスラエルへの移住を阻止するために援助をしているのだとか。なるほど。

私自身は2006年にイエメンに行った際、マナーハという首都サナア近郊の村からハジャラという村に行き、そこで昔のユダヤ人地区を見たことがあります。

ハジャラ遠景
このように山に作られた集落なのですが、歴史的に上の方にムスリム、下の方にユダヤ人が住んでいたようです(ガイドの子ども談)。

ハジャラの旧ユダヤ人地区の住居跡
実際の住居跡はこのようになってて、もうハジャラには一人もユダヤ人はいないとのこと。現在はここはロバ小屋として使われてるとかなんとか。

上記住居跡の入り口部分を拡大。1268というアラビア数字が読めます。
ここハジャラではユダヤ人のジャンビーヤ(イエメン社会で男性が作る短剣のようなもの。社会的ステータスや所属部族などを表す)を買いました。

右手前にあるのが購入したユダヤ人のジャンビーヤ

イエメンの首都サナアはこんな感じです。

泊まってた宿から旧市街を見下ろす。

サナアの象徴の一つ、バーブルヤマン。

中に入るとこんな感じです。

近くでやってた結婚式の際の、伝統的な「ジャンビーヤダンス」

 昨日はイスラーム美術博物館に行った帰りにカフェに寄って、その後「My Sweet Canary」という映画を観ました、それはまた後日。

2011年11月13日日曜日

An Introduction to Aramaic

アラム語は少し前に、手近に先生がいなかったために独習したのですが、以下の教科書を使いました。

An Introduction to Aramaic (Resources for Biblical Study)An Introduction to Aramaic (Resources for Biblical Study)
Frederick E. Greenspahn

Scholars Pr 2003-06
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「通常」、アラム語を勉強してやろうと思ってる人はヘブライ語の知識を既に持っている、つまり聖書ヘブライ語及び聖書にある程度通じている人が多いので、この教科書もそのような前提で組み立てられています。
この本は文典ではなく「教科書」ですので、一課から順に段階(文法事項)を追って学んでいくことができます。いきなり難しい文章を提示するわけではなく、徐々に徐々に量を増やし、原典に近づき、という工夫をしてますので、いきなり挫折してしまう、ということはおそらくないと思います。

ただ、後半になると読解量がグッと増えたり、難易度がボカンと上がったりするので頑張りましょう。あと、後半、まっさらのテクストにニクード(補助記号)をつけるところから始まったりするので、ニクードの知識があった方がベターです。

また、この本ではアラム語を学びながら初歩的なセム語学の知見を得ることもできます。私自身はアラビア語→ヘブライ語→アラム語ときたのですが、セム語の観点からの説明は非常に有益でした。


以下章立て。計32章あります。
1章から27章まではエズラ、ダニエルを中心に、前半は原文を優しくリライトしたもの、後半は結構そのまま、という体裁を取っています。
28章以降は碑文やエレファンティネ文書、死海文書、ラビ文献等、広い分野から取材しています。個人的にはこの28章以降を楽しく勉強しました。


Chapter 1-12 Ezra 4〜7章
Chapter 13-27 Daniel 2〜7章
Chapter 28 Inscriptions Bar Rakib, Uzziah, Ein Gedi Synagogue
Chapter 29 Elephantine and Bar Kochba letters
Chapter 30 Dead Sea Scroll Genesis Appocryphon
Chapter 31 Genesis Rabbah
Chapter 32 Pseudo Jonathan Genesis 22.

上記リストを見てお気づきの通り、時期的には帝国アラム語を中心に据えてますので、他のバリエーションを扱う際にはまた個別に勉強するべきでしょう。個人的にはマジックボウルの(バビロニア=後期東方方言)アラム語が渋いなと思ってます。一応文法書を手に入れて一通り読みましたが楽しそうです(実際のテキストはまだそこまで読んでません)。

2011年11月11日金曜日

クレズマーの文化史

日本に帰った時に本屋の音楽コーナーをブラブラしていたら、こんな面白そうな本が。

クレズマーの文化史: 東欧からアメリカに渡ったユダヤの音楽クレズマーの文化史: 東欧からアメリカに渡ったユダヤの音楽
黒田 晴之

人文書院 2011-06-17
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目次は以下の通り。

序章 ベルリンで聴いたクレズマー・コンサート
第1章 あるピアニストの名前への覚え書き
第2章 「縫い目」と「胞子」で辿るクレズマー小史
第3章 シャガールの描いた楽士はどんな音楽を演奏したか(1)
第4章 シャガールの描いた楽士はどんな音楽を演奏したか(2)
第5章 第二次世界大戦中の上海で流れたクレズマー
第6章 「子牛」のまわりにいた人たち
第7章 ユダヤ人の笑いをクレズマーのなかに探る
終章 クレズマーが辿った長い旅路の果てに


著者のお名前は何度か拝見したことはありましたが、文章を読むのはこれが初めてです。
ここ一年弱ほど、ユダヤ人の音楽、特にセファラディー(スペイン系ユダヤ人)の音楽を愛好しているのですが、実はクレズマー・イディッシュ音楽にはまだまだ親しみがありません。Eitan Masuriなどのイスラエル産の再解釈したホラなどは大好きなのですが、自分にとっては未だ未知に等しい領域。昨日エルサレムのCDでダニエル・カーンのCDを一枚買いましたが。

Partisans & ParasitesPartisans & Parasites
Daniel Kahn The Painted Bird

Oriente Musik 2009-03-30
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閑話休題。

読後の感想としては、多少の予備知識は必要とされるかな、という感じです。元が論文なので当たり前ですが。個人的には非常に興味深く読みました。東欧アシュケナズィーの文化はまだまだ個人的に未開拓なのですが、この本のおかげでイディッシュ劇場等に興味が湧きました。

個人的に心に残ったのは二点。アーロン・ゼイトリンの「子牛」(ドナドナです)を巡る議論、及び「ウスクダラ」考です。

「子牛」に関しては、小岸昭『離散するユダヤ人』でも触れられていて興味を持ったのを記憶していますが、
離散するユダヤ人―イスラエルへの旅から (岩波新書)離散するユダヤ人―イスラエルへの旅から (岩波新書)
小岸 昭

岩波書店 1997-02-20
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黒田氏の一章ではかなり詳しく議論されており、興味深く読みました。

「ウスクダラ」に関してですが、個人的にもこの曲を、追っかけてるっていう程ではないですが、注意して調べています。

というのは、私はこの曲が「ウスクダラ」として有名だということを知らず、まずは同じメロディーをアラビア語詞で知り、その後セファラディーの「伝統曲」として「再発見」し、その後ようやく江利チエミ「ウスクダラ」やトルコ民謡曲として、さらには本書で紹介されているBrandweinのクレズマーの「Der Terk in America」、あるいはアーサーキットの録音を「新発見」したからです。

黒田氏も本書の注で挙げられているように、ミュージックマガジン2008年4月号に高橋修がウスクダラのルーツを探る論考を掲載しており、「ウスクダラ」のメロディーは地中海のみの産物とばっかり思っていたので、これはこれで非常に面白いのですが、高橋氏も黒田氏もセファラディー・アラビア語詞の方には触れておらず、そちらから知った身としては不満が残ります。

今一般に知られてる詞はトルコを舞台にした「ウスクダラ」であり、トルコ産のものだと思われますが、セファラディーのもの(「Fel Sharah」で始まるのでそう名付けられることが多いような気がします)はアラビア語・フランス語・イタリア語・スペイン語・英語のミックス、アラビア語詞の方(「Ya Atholey」で始まる)はアラビア語のみで、特にトルコのユシュクダルでどうしたという話ではありません。

私はクレズマーのレパートリーにも入ってたというのが驚きでしたが、これをきっかけに、この歌を叩き台にして、東欧・アメリカだけではなく、広く地中海(≒オスマン領)を含めた、各文化の交渉史について想いを馳せるのもいいかも知れませんね。ちなみにセファラディーの方はGerard EderyとGeorge Mgrdichianによる録音が好きで、アラビア語の方は僕の好きなイラク人アーティスト、Ilham al-Madfaiのベイルートライブの録音が好きです。

MorenaMorena
Gerard Edery

Sefared Records 1999-07-20
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(Gerard EderyとGeorge Mgrdichianのが出てこなかったのでこちらで代用。Fel Sharahの別録音が収録されてます)

Live at Hard Rock CafeLive at Hard Rock Cafe
Ilham Al Madfai

EMI Arabia 2001-01-07
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なお、本書の末尾にはクレズマーのディスクガイドがありますので是非活用して下さい。特に第七章なんかはミッキー・カッツの実際の録音を聞きながら読んだりしたら楽しそうです。
(ちなみにカッツはイディッシュ(ドイツ)語で「ネコ」。ミッキーマウスではなくて、ですね)

Greatest ShticksGreatest Shticks
Mickey Katz

Koch Records 2000-05-09
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2011年11月1日火曜日

絶対貧困

数日前にエルサレムに戻ってきました。
私だけかも知れませんが、どうしてフライトの前、空港の本屋に寄ると妙に本を買いたくなるんでしょうね。

今回購入したのはこちら。

絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)
石井 光太

新潮社 2011-06-26
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前々から気になっていたのですが、ハードカバーが最近文庫化されたようなので購入。
著者の本は他にも気になってますが、こちらが書店に並んでいたので購入。

「貧困学」というのは著者の造語ですが、言わんとすることは以下の通り。

「通常、大学などで途上国の貧困を研究したいと思った時、国際関係学の一分野である国際開発論を勉強することになります。あるいは、国際経済学だとか、国際社会学といった領域からその道に入る方もいらっしゃるでしょう。これらの研究は貧困地域の様々な問題を見直し、どうすれば発展していけるかを考えるものです。(中略)…国際開発論のように最大公約数としての統計をだし、問題解決の緒をつかむことは重要です。ただ、それに加えて、現地で生きる人々の目線で個々が生活の中で抱えている小さな問題をまとめる研究分野があってもいいと思うのです。どちらか一方からだけではなく、双方の視点から考えることができれば、より広くて深い所から、貧困問題というものを浮き彫りにすることができますし、そこで生きる人々の利益にもつながると思うのです。そして私は後者に当たる部分を、新たに『貧困学』と呼んでいるのです。」(317−319項)

著者はフィールドの人らしく、様々な地域(アジア、イスラーム圏、アフリカ)のスラムに足を運び、共に寝起きし、その実態を観察しています。その具体的なケースの紹介が非常に興味深く、面白く、また考えさせられます。

アジアをフラフラ旅行していると、どうしても貧困層が目につきますが、その中で生まれる疑問、例えば物乞い「業」の構造(物乞いで得られる収入が上部組織に吸い取られる)であるとか、何故貧困状態にあるのに太った人が存在するのか、あるいは普段どのような生活をしているのか、何を考えているのか、といったものにこの本はある程度まで答えを与えてくれると思います。

例えばスラムの人たちは低予算高カロリーな「貧困フード」(例えばフライドチキン!)という、ある程度共通したものを食べていますが、野菜は低予算ですが低カロリーのため十分に摂ることができないことが多く、必要なビタミンはサプリメントで補充しているとのこと。スラムでは失業状態が常態である場合も多いので、高カロリーのものを食べ続け、さらに運動量も決して多くないため肥満になるとのこと。(44−46項)

また、出生届等も出していない(法的にも婚姻していないことが多い)上、地域によっては路上生活者に誕生日を祝う習慣がない=自分の正確な年齢が分からないため、ある程度の年齢以上になると適当にキリのいい年齢を自己申告するため、人口ピラミッドで5の倍数の年齢人口が格段に多くなる(例としてインドネシアが挙げられている、137−138項)というのも面白いですね。

「医療」や「生死」について考えさせられるのは、本書で述べられているインドの(伝統的・「呪術的」)薬売りのエピソード。マドゥという物乞いの老婆の体調が悪くなり、手術をする必要があると医者に告げられた(診察は無料)が、当然その費用を払う余裕はなく、孫とともに路上に横たわって死を待つことに。噂を聞きつけた伝統薬売りが来て、「金が払えないから帰ってくれ」というマドゥに対して、「金はいらないから、もし治ったら適当にご飯でも奢ってくれ」という薬売り。毎日毎日マドゥの元を訪れ、薬を与え、力づけるも努力むなしく、誰の目にも彼女の命は今夜限りだろうということが明らかに。薬売りはその時から彼女の臨終までずっと手を握り締め、最後まで死を見届けた。最初から一部始終を見ていた著者は薬売りに問いかける。どうしてマドゥの治療をしたのか。彼は答える。「わしが薬売りだからだよ。薬売りというのは病気の人を助けるために存在しているんだ。もし治せないなら、手を握り励ますことで心を支えてあげればいい」(144−147項)

アジアなんかでよく見る「花売り」(本書では物売り / 物乞い型と記載)の連携プレーも面白かったです。売春婦とともに歩いていると売春婦が「花を買って」とねだることがあるらしいのですが、例えば客(花の買い手)が60円払うとすると、その60円は一体どこにいくのでしょうか。なんと最終的には花売り(子どもが多い)、売春婦、花束の作り手(おばちゃんが多い)三者に平等に20円ずつ入る仕組みになっているとのこと。そのカラクリは以下の通り。まずおばちゃんが花束をつくって、近くの花売りの子どもに30円で渡す。子どもは客に60円で売る(売春婦がそのような値段で買うように仕向ける)。子どもは売春婦のお姉ちゃんに60円で買ってくれるよう仕向けたお礼に手数料として10円渡す(子ども20円の儲け確定)。その後に、売春婦が「プレゼントしてもらった」花束を引きとって、作り主のおばちゃんに10円で売る(おばちゃん、売春婦20円の儲け確定)。よくできた連携プレイで、何一つ無駄な人物・行動がありません。(163−165項)

他にもレンタルチャイルドや物乞いビジネスのヒエラルキー、稼ぎの例等、興味深い事例は沢山あるのですが、著者の他の本を読んでみたいと思います。



アジアを旅行することが比較的多かったので、私も所謂「スラム」という場所には何回か遊びに行ったり、物乞いと接したことがあります。その中でも特に印象深いのは二つ。一つはインド、一つはカンボジアです。

数年前にインドのバラナシの鉄道駅で電車を待っていた時のこと、両足のない子どもが物乞いにやってきました。その時バナナを持っていて、買ったはいいものの量が結構多かったので食べきれず持て余していたので、残り数本全部その子にあげました。物乞い時は「ビジネスフェイス」をしていたその子も予想外の収穫だったのか、破顔一笑、気持よくお礼を言ってきました。
その数分後、今度は両足のない別の子が物乞いに。体格が少し小さいので、どうやら弟のようです。ついさっきバナナも全部あげたし、小銭もないし、ということを伝えるけどなかなか食い下がらない。すったもんだしているところに、さっきバナナをあげたお兄さん(?)がやってきて、弟(?)を厳しく叱りつけました。弟は納得したようで別のところにいったのですが、お兄さんがこちらを見て一言「ごめんね」とはにかみました。
どうやら同じ人から何度も取らない(少なくともそのグループからは)という了解があるらしく、妙に感心してしまいました。相変わらず電車が来ないので(インドなので)ボーッとしていると、さっきの兄弟ともう一人男の子が駅の片隅に集まってさっきあげたバナナを分けあっています。その時「人は一人にて生くるにあらず」というのが分かった気がしますし、「社会」というものの存在を実感した気がしました。


カンボジアの首都プノンペンには大きなスラムがそれこそ旅行者の目にもつきやすいところに沢山あるのですが、面白かったのは使われてない電車を占拠して出来たスラム。電車の中で暮らしてるわけですね。そこに遊びに行ってみたのですが、挨拶してみるとすごく友好的で電車の中に入れてくれて、中を見せてくれました。内戦中に村から逃げ出してきて以来居着いたとのこと。子どもが帰ってきて、どういうわけかケーキを持ってて、一緒にご馳走になったので、翌日お礼に果物を結構たくさん買って持っていったら物凄い喜びようでした。お礼に携帯電話をプレゼントされかけたので、さすがにそれをもらったら先方に不都合が生じるんじゃないかと思い、記念に写真を撮らせてもらうだけに留めました。

プノンペンは他にも川沿いのスラム(ここは治安いい)に遊びに行ったり、スモーキーマウンテン(新旧あります)に行ったりしました。

2011年10月26日水曜日

常岡さん、人質になる。

去年春にアフガニスタンで拘束され、つい最近もパキスタンの空港で不当に拘束されたジャーナリスト、常岡浩介さんのことを覚えてらっしゃる方は多いと思います。
本書はアフガニスタンでの157日間に及ぶ拘束を描いたもの。

常岡さん、人質になる。常岡さん、人質になる。
にしかわたく 岡本まーこ 常岡浩介

エンターブレイン 2011-08-31
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帯に常岡さん自身の言葉として「大真面目に取材をしているつもりですが、ギャグマンガになってしまいました。」と銘打たれていますが、しかり、アフガニスタンで誘拐され人質になるという危機的状況なのにとてもユーモラス。にしかわたく氏の絵柄と、常岡さん自身の人柄がなせる業でしょうか。常岡さんの愛猫「かんだたみ」に対する深い愛も窺える良書です。関係ありませんが、常岡さんがよくかんだたみの写真をtwitterでアップロードするので、妙にそこら辺の猫よりも親近感を感じるようになっています。

この本の中で重要なのは、結局常岡さんを誘拐したのは巷間で伝えられるようにタリバンではなく、「一応政府側」のヒズブ・イスラーミーの末端だということです。在アフガン大使館も「タリバンだ」ということにしていますが、一応日本政府のカウンターパートであるカルザイ政権のガバナンスの実態を慮ってのことか、単なるバカかのいずれかでしょう。
これからのアフガニスタン情勢はカルザイ政権とタリバン側(及びパシュトゥーン)の関係如何というものが大きな比重を占めておりますが、カルザイ政権内部でもかなりの腐敗が進んでおり、一枚岩とは決して言えないことは、常岡さんの一件を考えても明らかでしょう。
余談ですがカルザイは面倒な役を頑張ってこなしてるなあと感心してしまいます。去年実際に会って印象が良かったからでしょうか。現時点では二期目の大統領任期が切れる2014年の選挙には出馬しない(三選は禁止)意向を示しているみたいですが、ポストカルザイがどなるのか、まだまだ分かりませんね。

なお、この前高橋礼一郎駐アフガニスタン・イスラム共和国特命全権大使の講演をお聞きしましたが、カルザイは3月13日の時点で、今回の震災のために在アフガニスタン日本大使館邸宅を訪れたとのこと。他国と比べても相当な早さだそうです。

常岡さんの著書として、以下のものをオススメしたいと思います。


ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71)ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71)
常岡 浩介

アスキー・メディアワークス 2008-07-10
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この本は常岡さんがチェチェンゲリラとともに野を越え山を越え従軍したことを中心に描いておりますが、その内容は凄まじいの一言に尽きます。
特に「難民にすらなれない状況」というのにはガツンとやられました。
こちらも併せて是非読んで頂きたい一冊です。

常岡さんとは一度お会いしたことがありますが、柔らかな物腰の中にも芯の強さを感じさせる人物で、著書やtwitterの呟きから感じる人物像と比べて全くブレがなく、印象通りでした。
これからも私たちの知らない世界の声を届けてくれる稀有な人物として、尊敬し、また応援しております。願わくば彼の声が世界に広く届き、日本政府や関係機関からの妨害が少しでもマシにならんことを。

2011年10月25日火曜日

聖書男

最近売れてるらしいこの本、面白そうだったので買ってみて読んでみました。

聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記
聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記A.J.ジェイコブズ 阪田由美子

阪急コミュニケーションズ 2011-08-31
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著者は「信仰心のかけらもない」「一応ユダヤ教徒」。
前作、

驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる!
驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる!A・J・ジェイコブズ 黒原 敏行

文藝春秋 2005-08-03
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では、『ブリタニカ百科事典』を最初から最後まで読破したとのこと(未読、注文しました)ですが、今回は一年間「現代NYで『聖書の教え』を忠実に守ってみた」らどうなるだろう、という企画。YouTubeやニコニコ動画などでよく「やってみた」系がありますが、それの聖書版と言えましょうか。

著者は「ヴィルナのガオン」の子孫ですが、ほぼ完全に世俗のユダヤ人で、家族内や親族に信仰心に熱くハラハー(平たくいえばユダヤ教の「律法」、「決まり」、あるいは「(歩むべき)道」)を守る人も多少はいるようですが、「わが家でいちばんユダヤ的なものといえば、クリスマスツリーのてっぺんに飾られたダビデの星ぐらい」(22項)という、雑誌「エスクァイア」のライター。
600ページ超ありますが、翻訳の良さ(訳文の流麗さもさることながら、よく勉強しておられます)もあってスラスラと読んでしまいます。

この本のタイトルの「聖書」は、アメリカで勢いを増している福音派のことも鑑みて、ヘブライ語聖書、つまり旧約聖書のみではなく、新約両方を含んでいます。
著者はユダヤ人ですが、ユダヤ教、つまり口伝律法と歴代ラビの解釈を含めた宗教体系のラビの助言は受けつつ、また伝統的な祭りなどに参加しつつも、あくまで本人が聖書の字句(複数の英訳聖書)に向き合い、素直な字義通りの読み(literalism)を行い実践していこう、というのがこの本のコンセプトです。細かい律法や、ラビ・ユダヤ教ではあまり重要視されない、あるいは現実にはほとんど行われていない律法も行っていこうという姿勢。
面白そう。
モーガン・スパーロックの「30デイズ」(あるいはスーパーサイズ・ミー)を彷彿とさせるようなアメリカ的な企画です。

ヒゲを剃るのを辞め、白いローブを身につけ、生理中の妻には手を触れず、また彼女の座った椅子にも座らず(自分用の折りたたみ椅子を買い解決)、混紡の服の着用を避け(5日目にしてチェックしてもらう)、子どもに鞭(とどうにか認められるもの)打ち、毎月慣れない角笛を吹き、姦淫の罪人に「石打の刑」を執行し、十弦の琴を奏で、コシェルの虫(コオロギ)を食べ、赤毛の牛を捜し求め、奴隷を手に入れ…と、現代においてはなかなか困難な規定にも果敢に挑戦する著者。勢い工夫を凝らしたり失敗したりと、真面目だけどユーモラスな展開が多く見られますが、著者の霊的道程をともに辿っていく中で、色々考えさせられることも多かったです。宗教の研究は「知らないものをよく知ってるものに、よく知ってるものを知らないものに」することだ、と本書に出てきますが、言い得て妙ですね。

感心するのは、聖書という厄介な書物と付き合う上で、実に様々な聖書に基礎を置く団体を訪ね、教えを受けていること。そのせいで、この本は現代アメリカのユダヤ教・キリスト教のルポにもなっています。
例えば著者は、モルモン教や(イスラエルの)サマリア教徒、レッドレタークリスチャンや福音派系メガチャーチ、また字義解釈派の福音派の中でも穏健派や根本主義派や「蛇使い(というよりは蛇掴みのほうが正確でしょうか)」まで広く訪ね、実に色々な宗教指導者と話しています。またキリスト教だけでなく、ユダヤ教超正統派とスィムハットトーラー(スコット・仮庵の祭の後の律法歓喜祭)に参加しともに踊り狂い、ヨムキプール(大贖罪日)には動物犠牲を実行するため、カパロート(犠牲のニワトリを頭上で三回回して屠る)を行い、また疑問があれば「宗教顧問」に逐次相談しています。
実践以前は完全な不可知論者の著者でしたが、最終的に彼がどのようになるのか、邦訳が発売されて二ヶ月経ってない現状で言及するのは少し野暮でしょうか。

「聖☆おにいさん」でキリスト教に興味が湧いた、という日本人なんかが読んでみると面白いかも知れません。ユルユルのイエスとはまた違うユダヤ教・キリスト教の顔が見えてくるかと思います。

新刊:シオニズムの解剖

昨日には書店に並んでおりましたが、本日付けで『シオニズムの解剖:現代ユダヤ世界におけるディアスポラとイスラエルの相克』が出版されました(手に入れそこねました)。

シオニズムの解剖: 現代ユダヤ世界におけるディアスポラとイスラエルの相克シオニズムの解剖: 現代ユダヤ世界におけるディアスポラとイスラエルの相克
臼杵 陽

人文書院 2011-10-25
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章立ては以下の通り。
個人的にはシオニズムに関しては、深入りすると極めて生々しい世界に突入してしまうので横から眺めているだけなのですが、日本には意外に(失礼)研究者がたくさんおります。
ご関心がある方は手に取られてはいかがでしょうか。
個人的にはこれから宗教シオニズムの流れ、特にラビ・クックの研究がどんどん出てくれば、と期待しております。


序章 シオニズムを解剖する 赤尾光春・早尾貴紀

Ⅰ 帝国の衰退とユダヤ政治の展開
忘れられた世代と場所 鶴見 太郎
「イディッシュ労働者」運動としてのブンド 西村 木綿
民族自治から主権国家へ 森 まり子  

Ⅱ ホロコーストからイスラエル建国へ
アメリカ・ユダヤ人とシオニズム 池田有日子
カタストロフィ・シオニズム 野村 真理

Ⅲ ナクバという遺産
国家の起源にどう向き合うか 金城 美幸
〈イスラエルの原罪〉を書けるか 村田 靖子

Ⅳ 入植のエートスとイデオロギー
一〇〇度目の流刑地としてのエレツ・イスラエル 赤尾 光春
死と贖いの文化――フロンティアのメシア主義者 今野 泰三

Ⅴ ユダヤ文化産業におけるヘゲモニーとカウンター・ヘゲモニー
シオニズムの映画的表象 四方田犬彦
クレズマーはシオニズム(と資本主義)に抵抗するか ? 平井  玄

Ⅵ 現代思想とイスラエル問題
バイナショナリズムの思想史的意義 早尾 貴紀
現代思想におけるシオニズムと反シオニズム 合田 正人

日本におけるシオニズムへの関心の端緒 臼杵 陽


なお、関連する書籍として、同じ編著者による書籍を挙げておきます。

ディアスポラから世界を読むディアスポラから世界を読む
赤尾 光春 早尾 貴紀 臼杵 陽

明石書店 2009-06-30
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2011年10月19日水曜日

イスラエル考古学の魅力

amazonが登場して、カードを持つようになり、インターネットで本が注文できるようになってからは本屋に行く必要がなくなった、という人もいますが、それは違うと思います。
当たり前のことですが、amazonで買える商品はあくまでも「自分が存在を知ってる(検索できる)書物」及び「その周辺(おすすめ商品等)」のみに限られます。そもそも自分が知らない商品は検索できませんし、その商品から大きく離れたところに布置している商品と出会う確率は限りなく少ない。そもそも「売れない本」や「洋書」は普通おすすめされません。
そのような未知の本と出会う場はやはり本屋や古本屋でしょう。

というわけで、自分の「苦手分野」の一つ、聖書考古学、レバント考古学の本を本屋で見つけ、読みやすそうだったので帰ってからamazonで注文しました。今は新年休みなので、日本語の本をゴロゴロ寝転がって読むのが心地良いです。

イスラエル考古学の魅力―サブラと遺跡と湖とイスラエル考古学の魅力―サブラと遺跡と湖と
牧野 久実

ミルトス 2007-05
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思えばミルトス出版社にはずいぶんお世話になってるものです。
著者の牧野久実さんは慶応大学とテルアビブ大学で考古学を学び、滋賀県立琵琶湖博物館に長らく携わった方とのこと。
本書は「月刊みるとす」に連載していたエッセイ集をまとめたもので、一章あたり5,6ページほどでまとまってるので、非常に読みやすいです。パレスチナ考古学の発達、それが日本考古学の基礎となっていること、ガリラヤ湖と琵琶湖の共通性、イスラエルの諸大学の考古学事情、テルアビブ大での授業の様子等々が語られており、一気に読んでしまいました。僕の大好きな、「基本的・プライベートすぎて概説書には書けない」(というか書かない)ようなことが語られています。内部にいれば当たり前のことなんでしょうけど、「この大学はこの分野が強い」というのは、私のような部外者には知れ得ることではありませんし、授業の様子(厳しさ)なんかは出ないと分かりませんし、色んな人に書いてもらいたいと思っています。

考古学が発達した19世紀以来、エジプトやメソポタミアでは華麗な出土品・遺跡が登場するのに対し、パレスチナでは「地味」な土器の類ばかり出たが、それが理由で土器編年・層位の方法論が発達し、それが日本にもたらされ、日本考古学の基礎となった、というのはハッとしました。1925年、原田淑人とともに東亜考古学会を設立した浜田耕作が、パレスチナ考古学の創始者フリンダース・ペリーに考古学の方法論と厳密な技術を学んだのが淵源であり、それが梅原末治や小林行雄に受け継がれたとのこと。(220項)
イスラエルなんかと関わる分野にいると、よく夏の発掘の話を耳にし、参加を勧められますが、イスラエルと日本の考古学分野での関係はそんなとこまで遡るんだなと少し驚きました。
また、僕の大好きな大阪の弥生博物館の金関恕先生も長年(30年)に渡って、発掘隊に関わられておられたということにも驚きました。イスラエルでの経験があの池上曽根遺跡の発掘に役立ったとのこと。

話を聞いてるとイスラエルでの夏の発掘は大変そうですが、一度は参加してみたいですね。

なお、イスラエルの考古学事情は、著者によると以下の通りです。(22項)
テルアビブ大はヘブライ大からアハロニらによって新たに設立、ユダヤ教の知識に裏打ちされたヘブライ大の考古学を一歩進め、幅広い視野を目指した。特に今日では歴史的側面だけではなく、関連分野の植物学・動物学・環境学というような分野の専門家や研究環境を用意。
砂漠の考古学に強いベングリオン大学、水中考古学に強いハイファ大学、そもそもは宗教色の濃い大学であるが、フィンケルシュタイン(現在はテルアビブ大学)を始めとし、幅広い知識と方法論を駆使するバル・イラン大学。

なお、上記フィンケルシュタインの著書は以下の翻訳が日本語で手に入ります。

発掘された聖書―最新の考古学が明かす聖書の真実発掘された聖書―最新の考古学が明かす聖書の真実
イスラエル フィンケルシュタイン ニール・アシェル シルバーマン Israel Finkelstein

教文館 2009-06-25
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2011年10月18日火曜日

イスラエルxウクライナ紀行

少し前に、佐藤康彦『イスラエルxウクライナ紀行』を読みました。

イスラエル・ウクライナ紀行―東欧ユダヤ人の跡をたずねてイスラエル・ウクライナ紀行―東欧ユダヤ人の跡をたずねて
佐藤 康彦

彩流社 1997-02
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最近、ガリツィアやオデッサのユダヤ人に興味があるので、読んでみました。
著者の佐藤康彦氏は、ドイツ・オーストリア文学研究者として有名みたいですが、個人的にはヘルツル『ユダヤ人国家』の訳者として存じております。

ユダヤ人国家 〈新装版〉: ユダヤ人問題の現代的解決の試み (叢書・ウニベルシタス)ユダヤ人国家 〈新装版〉: ユダヤ人問題の現代的解決の試み (叢書・ウニベルシタス)
テオドール・ヘルツル 佐藤 康彦

法政大学出版局 2011-10-07
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この『イスラエルxウクライナ紀行』はその名の通りイスラエル、ウクライナへ調査のために訪れた際の記録(1993年夏)をまとめたものです。
イスラエルは主としてエルサレムの中央シオニスト文書館での資料調査を中心に、ウクライナではオデッサからキシニョフを経てチェルノヴィツ、ルヴォフという行程の旅が綴られています。

個人的にこの本を読んでみたいと思った理由の一つに、「ハイファ=オデッサ間を船で行く」というものがあります。飛行機なんかが登場する前は、当たり前ですが海上交通が長距離移動の花形でした。イスラエル、パレスチナを訪れる際もヤッフォやハイファの港から上陸するのが普通。東欧のユダヤ人たちもオデッサから黒海、ボスポラス海峡を抜けて地中海に入り、パレスチナの地を目指したことでしょう。
現代でその航路は非常に「渋い」ので余裕があれば試したいなと思っています。少し検索した限りでは旅客用の航路は現在も存在するみたいですが、具体的なスケジュールや料金を調べようと思ったらロシア語のサイト(分からない)に飛ばされてよく分かりませんでした。佐藤氏の本で書かれている値段は、「三泊四日、ショスタコーヴィチ号の二等寝台、食費を含めて約3万5千円」(片道)と書かれているので、当時でその値段なら今はもっと高いんだろうなと思います。2011年9月の時点で、飛行機ならテルアビブからキエフまで往復200ユーロ程であったので、勇気が入りますね。

イスラエルはともかく、佐藤氏が訪れたウクライナ、東ガリツィアのあたりは、正直全然知識がないのですが、アシュケナズィー(東欧ユダヤ人)にとって一つの中心ですので、もっと知りたいと思っております。
そういえば佐藤氏も訳しているヨーゼフ・ロートの故地、ルヴォフ(レンベルク)はポーランド領内(西ガリツィア)から目と鼻の先で、去年東欧を少し旅行した時に行きたかった場所の一つです。佐藤氏はそれを目当てにルヴォフを訪れておりましたが、渋い。
『果てしなき逃走』は読んだことがあります。

果てしなき逃走 (岩波文庫)果てしなき逃走 (岩波文庫)
ヨーゼフ ロート Joseph Roth

岩波書店 1993-09-16
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『イスラエルxウクライナ紀行』で少し気になった箇所を。

「(引用者注:キシニョフのシナゴーグを訪れた際に)…ユダヤ教における男女の区別は厳しく、このアメリカ式の会堂でさえ、今なおその区別が守られているようだ。しかし将来はきっと、この二階席は別の目的のために使うようになるだろう、例えばキリスト教会における合唱団のような席として。」(181項)

「(引用者注:ルヴォフを訪れた際)二万人近いというユダヤ系の人びとが、あまり祖先の宗教に固執せず、彼らだけの共同体を作らずに生活して行けるならば、そして、ウクライナの人びとが少数派の相手に対してこんな明るい好奇心を抱き、同僚としての親愛感を示すことができるならば、異質な人間にたいする排斥と差別はやがて消滅するにちがいない。シナゴーグがないことは、必ずしも悲しむに当たらないのだ。」(233項)

このあたり佐藤氏の思想が如実に現れているように思いますが、賛成しません。

2011年10月16日日曜日

一般講演をしてきました。

こちらのブログで書くのは忘れていましたが、同じ研究科の牧師の先輩から頼まれて、本日10月16日、14時より姫路五軒邸教会にて、「イスラームから見たキリスト教」という題目で講演をしてきました。「アジアサンデー集会」という企画で、今年はイスラームをしよう、ということでお話が回ってきたみたいです。「他はどんなテーマなんですか」と訊くと、「貿易不均衡とか」という答えが返ってきました。貿易不均衡を頼まれなくて良かったです。

実際の講演では堅苦しい部分は最小限に、半分以上はイスラエルの写真等を使い、雑談を交えて話をしました。経験上、発表者が一番強調したい点よりも何気ない雑談が心に残るものですが、雑談すら残らないよりは、発表した甲斐があるというものです。

今まで学会発表というかたちで、研究者の方々の前で発表する機会は何度かあったのですが、一般講演というかたちは実は初めてです。
教会での講演ですので、クリスチャンの方々を対象にする、という前提が「一般講演」と呼べるかどうかは少し疑問ですが、「とにかく分かりやすく」というご要望。
60分講義+30分質疑だったんですが、まあ上手くいったようです。特に質疑が活発に行われたのは最近なかったことらしく、主催者の方は喜んでおられました。

一般講演で何が「うける」のかいまいち良くわからなかったのですが、今回である程度掴めた気がします。思ったより(新約)聖書ネタの反応がなかったので、次回から控えます。犬猫ネタはうけたので、これから同様の依頼があれば動物系でいこうと思います。

2011年10月10日月曜日

バル・ヘブラエウス

一昨日にHealey著のA Brief Introduction to the Arabic Alphabetを紹介しましたが、私がシリア語を独習した際には、HealeyではなくThackstonのIntroduction to Syriacを使用しました。

Introduction to Syriac: An Elementary Grammar With Readings from Syriac LiteratureIntroduction to Syriac: An Elementary Grammar With Readings from Syriac Literature
Wheeler M. Thackston

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著者のThackstonは、どちらかというとペルシャ文学研究で名高く、語学書もペルシャ語とアラビア語を出しているのですが、残念ながら私はシリア語の語学書しか使ったことがありません。
アラビア語の方はこの前図書館でパラパラと見た限りでは、なかなか良さそう。少し気になります。

Introduction to PersianIntroduction to Persian
Wheeler M. Thackston

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An Introduction to Koranic and Classical Arabic: An Elementary Grammar of the LanguageAn Introduction to Koranic and Classical Arabic: An Elementary Grammar of the Language
Wheeler M. Thackston

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さてこのIntroduction to Syriac、文字(Estrangela。シリア語を勉強する際、通常3種類の似た文字を学びます)を学んだ後、20課分の文法と練習問題(読解、シリア語への翻訳)、その後40ページほどの読解教材(アンソロジー)とど続いていきます。文典ではないので、文法の初歩からしっかりと勉強することができます。

ただ、この本には欠点が二つあります。

①練習問題の解答が別売り・間違い多数
②Estrangela主体なので母音符号を学ぶタイミングがない

①に関してですが、まあ別売りは仕方ありません。あるだけ良しとしましょう。

Introduction to Syriac: Key to Exercises and English-Syriac VocabularyIntroduction to Syriac: Key to Exercises and English-Syriac Vocabulary
Daniel M. Gurtner

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ただ、初心者、つまり語学書を読み進め、練習問題を解く段階で気づくレベルの間違いが大量に、しかもシステマティックにあります。ただ、20課が終わって以降の読解教材になった瞬間、間違いが一気になくなります。作者名義は一人だけですが、複数人で作成し、かつ真面目にチェックしなかったのではと思われます。要注意。

②、本書の印刷の状態がいいので、EstrangelaはEstrangelaで良く、途中からヤコブ・ネストリウス両派の文字も時々練習問題で出てくるのも構わないのですが、母音符号に関しては最初期の段階で触れられるのみで、その後一切出てきません。母音符号なしである程度読めるようになるのはアドバンテージかも知れませんが、実際問題として辞書を引く時に結構困るので、初めのうちくらいはあった方が良かった気がします。

以上二点に注意する必要がありますが、この本結構気に入ってます。


後期アラム語東方方言の一つであるシリア語は主にクリスチャンの間で使用されたので、キリスト教色が強い言語です。新約聖書の言語であるギリシャ語からの借用語・翻訳語も多く、構文にも影響を及ぼしています。ただ私自身はキリスト教にはあまり関心がなく、ギリシャ語もラテン語も出来ませんので、どうもシリア語にドップリ、という気には今のところなれていません。なんせ初めて新約聖書を読んだのはこの教科書で、ってくらいなので(世界的に類例が少ないのではと自負しています)。シリア語、文字も含めて好きなんですが。

さて、私のハンドルネーム(って最近言わないんでしょうか)のbarhebraeusは、実はこの本で初めて出会いました
ラテン名bar hebraeusさん、シリア語名バル・エブラーヤー(1226-1286)は13世紀シリア正教の司祭であり優れた思想家・知識人で、多数の著作があります。百科全書的なもの、哲学書、聖書註解、歴史書、神学書、科学書、天文学書等、浩瀚な書物をものしました。
正直この人のことをあんまり知らない(失礼)んですが、あんまり使用してる人がいなさそう(=ミーハーぽくない)なのと、アラム語が好きなのと、名前の意味が「ヘブライ人の子」という意味なのと、であやかって採用しました。

私の手元には以下の本があります。
あるだけで読んでませんが、機会があれば読んでみたいと思っています。


日本人による研究では、高橋英海先生による以下のような著作もあります。心から敬服。

Aristotelian Meteorology in Syriac: Barhebraeus, Butyrum Sapientiae, Books of Mineralogy and Meteorology (Aristoteles Semitico-Latinus, V. 15)Aristotelian Meteorology in Syriac: Barhebraeus, Butyrum Sapientiae, Books of Mineralogy and Meteorology (Aristoteles Semitico-Latinus, V. 15)
Hidemi Takahashi

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2011年10月9日日曜日

ויום השביעי שבת לה' אלוהיך לא תעשה כל מלאכה

安息日を心に留め、これを聖別せよ。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
(出エジプト記20章8〜10節、新共同訳)


お恥ずかしい話ですが、ユダヤ教のハラハー(道、規範、宗教規定)には興味はあるのですが明るくありません。
そんな私なのですが、エルサレム在住のバルイラン大学の教授宅で、毎月一回ハラハーの読書会を開催する運びとなり、参加させて頂くことになりました。
その先生宅で去年、今年と紹介して頂いて気になっていた本を、先日エルサレムにある英語書籍に強い本屋で購入しました。

The 39 Avoth Melacha of ShabbathThe 39 Avoth Melacha of Shabbath
Baruch Chait Yonathan Gershtein

Feldheim Pub 1986-06
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一見して分かる通り、子供向けの本です。
ただ、私自身はユダヤ教徒でもありませんし、数年前まではユダヤ教・ユダヤ人とは無縁の暮らしを送っていたため、ユダヤ教の実践に関しては子供レベル、下手したら乳児レベルです。ですので、これくらいの子ども用絵本から始めるので十分です。シャバット(安息日)の労働に関しては過去2000年以上に及ぶ膨大な蓄積がありますし、基礎概念すら怪しいものですから。ちなみにこの本は基礎概念もきっちり説明してくれていますので、その点も安心。出来がかなりいいので、他の本も見てみたくなります。

しかしこの本面白い。サイズがバカでかくて、本棚のどの段にも入らないという問題がありますが、安息日に何をしてはいけず、何をするのは許されるのかということを、カラーのイラストで楽しく学ぶことが出来ます。
表題の「Avoth Melacha אבות מלאכה」とは、日本語に訳すと「労働類型」とでもなるのでしょうか、安息日に禁止されているという「労働」を、幕屋の建設に範をとり、39に分けたものです。その39の各カテゴリー毎に具体的な労働を示し、毎週の安息日(と祭り)で実践できるようしたものです。

例えばパラパラ見て面白かったものは、労働類型である「狩り צד」のうち、亀に箱を被せようとしている子どもが。はてこれは何をしているのかと訝しんで見てみると、そのイラストに説明があります。曰く「亀は歩くのが遅すぎるため、それを捕まえることは『狩り』に該当しないため可」。成程。この例は実践的かどうかは分かりませんが、ユダヤ教がどのような原理で安息日の労働を考えているかがよく分かります。
本当はもっと細かい議論が飽くことなく続くんでしょうが、この本はとりあえず初めの勉強にはいいんじゃないかな、と思います。自分自身の勉強もかねて、この本を読んで学んだことをこのブログに時々書いてみるのも良いかも知れないですね。

ハラハーといえば今年の夏にヘブライ語の集中講座に参加した折、何人かのユダヤ人クラスメイトが結構真面目に守っていたみたいです。それがどうして分かったかと言うと、一つには「神」のことを、ヘブライ語での呼び名の一つである「エロヒーム אלוהים」の代わりに「エロキーム אלוקים」と、婉曲に呼んでいたこと。そしてもう一つが、カリキュラムの都合で通常週5日間の授業が週6日間になった週の6日目、「安息日に入ったら宿題も予習復習も出来なくなるので宿題は少なめに、週明けの試験は一日伸ばしてけろ」という意見が多かったこと。ユダヤ教の規定(というより前近代は大体そうだと思いますが)では日没から新しい日が始まるので、6日目の日没から翌日の日没までの25時間が安息日となります。その間伝統的なユダヤ教のハラハーを守っている人は、「世俗的」な勉強はできないことになります。現代ヘブライ語もダメ(と言ってました)。というわけで聖書は存分に勉強するのですが、ヘブライ語集中講座の方の勉強は禁止。なので、週6日も授業があると安息日が勉強できないので大変だったみたいです。

ちなみに週明けの試験はちゃんと一日伸びました。

2011年10月8日土曜日

عن لغة الضاد

テルアヴィヴからKLMでアムステルダム経由で帰る際、John F. Healey and G. Rex Smith の A Brief Introduction to the Arabic Alphabet という僅か100ページ強のペーパーバックを懐中に忍ばせて、ちょこちょこと読んでました。

A Brief Introduction to the Arabic Alphabet: Its Origin and Various Forms (Brief Introductions)A Brief Introduction to the Arabic Alphabet: Its Origin and Various Forms (Brief Introductions)
John F. Healey G. Rex Smith

Al Saqi 2009-03-30
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章立ては以下の通り。

Introduction
I. The Alphabet before Islam
II. The Origin of the Arabic Alphabet
III. The Earliest Arabic Scripts - Pre and Early Islamic Inscriptions
IV. The Arabic Papyri
V. The Classical Arabic Scripts - Kufic and naskhi
VI. The Arabic Scripts beyond the Arabic Heartlands - North Africa, Iran and Turkey
VII. Arabic Writing Today

章立てでは7章ありますが、2章までで全体の半分ほどの量です。
アラビア文字の前身である、ナバテア文字草書体(≠記念碑体)までたどり着くためには原シナイ文字からの文字史を説く必要があるため、どうしても分量が多くなるのでしょう。
学部生レベルの入門書を想定しているため特に目新しい記述はありませんでしたが、中近東文字史がコンパクトに纏まっているので、その分野に興味がある人は読んでみてもいいかも知れません。

日本では(海外でもかな)ナバテア語やナバテア史はあまりメジャーな分野ではないのですが、紀元前後数世紀、及び現ヨルダン・イスラエル南部、サウジアラビア北部という時間的・地理的重要性から、言語学・歴史学・(旧新)聖書学・アラビア語学・宗教学等の分野でもっと注目されるべき分野だと思います。
なお、ナバテア語自体はアラム語、特に中期アラム語の地域変種の一つと捉えるのが一般的ですが、ナバテア人自体はアラビア語が母語だったようです。当時はまだアラム語がリングア・フランカとして行政・商業の国際語として広く通用していた時代ですね。ナバテア王国崩壊後の碑文や墓碑はナバテア文字で書かれているにも関わらず、アラビア語要素がかなり強くなっていくみたいですが、不勉強のため例示出来ません。

著者のJohn F. Healeyはマンチェスター大のセム語学教授。個人的にはアラム語研究者としての印象が強い(特にナバテア語)のですが、ウガリット語研究者でもあります。上記のアラビア文字史入門と似たようなコンセプトで、以下のような日本語翻訳もあります。

初期アルファベット (大英博物館双書―失われた文字を読む)初期アルファベット (大英博物館双書―失われた文字を読む)
ジョン・F. ヒーリー John F. Healey

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こちらも啓蒙書で、分量もコンパクトなので如何でしょうか。
個人的には南セム語に疎かったので、勉強になりました。

余談ですが東京大学のシリア語の授業ではHealeyの学習書を使って授業をしているみたいです。

Leshono Suryoyo: First Studies in SyriacLeshono Suryoyo: First Studies in Syriac
John F. Healey

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私自身はシリア語を独習する際、Healeyの学習書ではなくThackstonを使ったのですが、このことに関してはまた後日。

2011年10月7日金曜日

אם אשכחך...

エルサレムよ
もしも、わたしがあなたを忘れるなら
わたしの右手はなえるがよい。
わたしの舌は上顎にはり付くがよい
もしも、あなたを思わぬときがあるなら
もしも、エルサレムを
わたしの最大の喜びとしないなら。
(詩篇137篇5-6節、新共同訳)


こんにちは。皆さんはじめまして。

既にmixi、facebook(開店休業中)、twitterとやっておりますが、それとは別にブログを始めます。
今私はmixiはどちらかというと現実の友人用、facebookは海外の友人用、twitterは趣味用、と使い分けていて、それに加えてこちらのブログでは主に学術用・一般用にしようと思っています。
どうなるかは分かりませんが、現在のところ翻訳や学術的雑感等を載せていこうかと考えています。

さて、ブログには「今年はエルサレムで」とありますが、現在日本に一時帰国中です。
いきなり羊頭狗肉ですね。
今の時期はユダヤ暦では新年が始まったところで、イスラエルでは後数時間の後に大贖罪日に入ります。またもう少ししたら仮庵の祭が始まったりと、今月は祭りが盛りだくさん、それに従って大学等もお休みになります。

8月から約2ヶ月ほど、エルサレムのヘブライ大学でウルパンというヘブライ語集中講座に参加していたのですが、新年前に無事終わり、大学のセメスターが始まる10月末まで新年休み、ということです。
まあ、日本で用事があるし、ヘブライ語の復習もしないとえらいことになるし、と、やることは目白押しなのですが、目下時差ぼけのせい?でゴロゴロしています。花粉が酷くて頭痛くてくしゃみ止まらないんですよね。

どれくらいの頻度で更新していくかは分かりませんが、気の赴くままに書いていこうと思います。こういうのに書いて溜めておくのが後々に役に立ったりするんですよね。