Alpert, Michael, 2010. 'The Ladino Novel', European Judaism 43(2), pp. 52-62.
前回紹介した論文と同じ号の論文ですが、European Judaismのこの号はセファラディー文学(口承ではない)特集です。コンパクトに各方面の論文がまとまってて、しかも2010年出版なので 各分野の研究動向が分かって助かります。
さて、メジャーではないですがユダヤ・スペイン語にも所謂「小説」があります。
数はそんなに多くないですが、100年くらい前の初版本とかは今でも時々出回ってます(ページ数の割に値段が張るので私は買いませんが)。
ユダヤ・スペイン語圏にこの「小説」が出現し消滅するのは、大体20世紀前半、特に青年トルコ革命が起きた1908年から20年代終にかけて。アリアンス等がオスマン領内に入ってきて近代との出会いを果たしてから少し間があるのは、新聞出版と連動してること、そして1902年まで「窃盗・殺人・愛」(p. 56)というテーマを含む出版物(ユダヤ・スペイン語の小説はこれらのテーマを扱うことが多い)を、オスマン側が検閲によって禁止したからのようです。
この論文では有名な小説家として二人、Elia Karmona(1869イスタンブル生、1932年同地にて逝去)とAlexandre Ben-Ghiat(1869年頃?生、1923年イズミルにて逝去)を挙げています。この二人はかろうじて私も名前は知っています。
二人とも出版業を兼任してることから分かるように、この時代新聞と小説は不可分でした。新聞の売上(購読)を増やすために連載小説を載せるというのはいつの時代でも常套手段ですね。
Elia Karmonaは有力家系の生まれ、幼少児にはユダヤ教教育を受け、11歳からは4年間アリアンスの学校に通います。その後フランス語の家庭教師をしますが家計が苦しくなり父が社会的に没落、それに伴って彼も家庭教師の職を失い、自身路上でマッチ売りをするまでに落ち込みます。幸いにしてその後El Tyempo紙の編集の職を得ますが、給料が十分でないという理由からサロニカ、イズミル、カイロにまで一人旅に出ます。しかしながらあまりうまくいかなかったようで、結局El Tyempoの編集者として1908年まで務めます。小説自体は1899年から書いており、彼の手による作品は50を数えるとのこと(p. 56)。
彼の名前が有名なのは(そして私が知ってる理由は)、1908年より彼がEl Djugueton紙をほぼ週刊で1932年まで発行したことによります。El Djugetonの記事はいくつか読んだことがありますが、なかなかに面白いです。また紹介できればと思います。
Alexandre Ben-GhiatはEl meseret紙を出版したことで名高いですが、それよりも彼の作品によって有名なのでしょうか。彼の小説作品は1ダースほどですが、その中でもLa Mujer Honestaが有名です。この作品は近代西欧で見られたような「自立した女性」を描いたもののようです(p. 58)。
さて、「Ladino Novel」をどう評価すべきか、という段になり筆者は、例えばイディッシュ文学と比較してしまうとどうしてもイマイチ、と結論します(p. 59)。現実社会とその問題に肉薄するようなことも、読者の知性に揺さぶりをかけるようなことも残念ながらあまりなく、さらにセファラディーの近代人はアシュケナズィーと違いユダヤ教の素養も薄く、またアシュケナズィーがドイツ語・ロシア語圏へ容易にアクセスできるのに大して、セファラディーは近代西欧へのアクセスとしてフランス語でしかできなかった、という点も問題として指摘しています(p. 59)。
少しばかり寂しい結論ですが、それでも物珍しさも加わって一時の間かなりの数(250~500)の作品(オリジナル・翻訳・折衷)の作品が出回ったようで、数は少ないですが英語への翻訳もあるようです。
Michael Alpert, The Chaste Wife, Nottinfham: Five Leaves
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