2011年12月31日土曜日

The Ladino Novel


Alpert, Michael, 2010. 'The Ladino Novel', European Judaism 43(2), pp. 52-62.

前回紹介した論文と同じ号の論文ですが、European Judaismのこの号はセファラディー文学(口承ではない)特集です。コンパクトに各方面の論文がまとまってて、しかも2010年出版なので 各分野の研究動向が分かって助かります。

さて、メジャーではないですがユダヤ・スペイン語にも所謂「小説」があります。
数はそんなに多くないですが、100年くらい前の初版本とかは今でも時々出回ってます(ページ数の割に値段が張るので私は買いませんが)。
ユダヤ・スペイン語圏にこの「小説」が出現し消滅するのは、大体20世紀前半、特に青年トルコ革命が起きた1908年から20年代終にかけて。アリアンス等がオスマン領内に入ってきて近代との出会いを果たしてから少し間があるのは、新聞出版と連動してること、そして1902年まで「窃盗・殺人・愛」(p. 56)というテーマを含む出版物(ユダヤ・スペイン語の小説はこれらのテーマを扱うことが多い)を、オスマン側が検閲によって禁止したからのようです。

この論文では有名な小説家として二人、Elia Karmona(1869イスタンブル生、1932年同地にて逝去)とAlexandre Ben-Ghiat(1869年頃?生、1923年イズミルにて逝去)を挙げています。この二人はかろうじて私も名前は知っています。
二人とも出版業を兼任してることから分かるように、この時代新聞と小説は不可分でした。新聞の売上(購読)を増やすために連載小説を載せるというのはいつの時代でも常套手段ですね。

Elia Karmonaは有力家系の生まれ、幼少児にはユダヤ教教育を受け、11歳からは4年間アリアンスの学校に通います。その後フランス語の家庭教師をしますが家計が苦しくなり父が社会的に没落、それに伴って彼も家庭教師の職を失い、自身路上でマッチ売りをするまでに落ち込みます。幸いにしてその後El Tyempo紙の編集の職を得ますが、給料が十分でないという理由からサロニカ、イズミル、カイロにまで一人旅に出ます。しかしながらあまりうまくいかなかったようで、結局El Tyempoの編集者として1908年まで務めます。小説自体は1899年から書いており、彼の手による作品は50を数えるとのこと(p. 56)。
彼の名前が有名なのは(そして私が知ってる理由は)、1908年より彼がEl Djugueton紙をほぼ週刊で1932年まで発行したことによります。El Djugetonの記事はいくつか読んだことがありますが、なかなかに面白いです。また紹介できればと思います。

Alexandre Ben-GhiatはEl meseret紙を出版したことで名高いですが、それよりも彼の作品によって有名なのでしょうか。彼の小説作品は1ダースほどですが、その中でもLa Mujer Honestaが有名です。この作品は近代西欧で見られたような「自立した女性」を描いたもののようです(p. 58)。

さて、「Ladino Novel」をどう評価すべきか、という段になり筆者は、例えばイディッシュ文学と比較してしまうとどうしてもイマイチ、と結論します(p. 59)。現実社会とその問題に肉薄するようなことも、読者の知性に揺さぶりをかけるようなことも残念ながらあまりなく、さらにセファラディーの近代人はアシュケナズィーと違いユダヤ教の素養も薄く、またアシュケナズィーがドイツ語・ロシア語圏へ容易にアクセスできるのに大して、セファラディーは近代西欧へのアクセスとしてフランス語でしかできなかった、という点も問題として指摘しています(p. 59)。

少しばかり寂しい結論ですが、それでも物珍しさも加わって一時の間かなりの数(250~500)の作品(オリジナル・翻訳・折衷)の作品が出回ったようで、数は少ないですが英語への翻訳もあるようです。
Michael Alpert, The Chaste Wife, Nottinfham: Five Leaves

2011年12月30日金曜日

The History of the Me'am Lo'ez

Meyhuas Ginio, Alisa, 2010. 'The History of The Me'am Lo'ez: a Ladino commentary on the Bible', European Judaism 43(2), pp. 117-125.

これからは読んだ論文もちょこちょこまとめていこうと思います。
日本では(でも)全く知られていませんが、複数の著者による、「Me'am Lo'ez メ・アム・ロエズ」(書名は詩篇114篇1節に取材)という非常に重要なセファラディーの文学作品があります。この作品は聖書の一節一節(実際はパラシャー毎にまとめられている)に沿った「エンサイクロペディア」とも呼ばれる作品で、古今のアガダー・ハラハーのみならず、天文学や民話にまでも取材し、それぞれの作者自身の言も含まれます。
論文の構成とは前後しますが、まずは基本的な成立・出版状況について(pp. 122-124)。Elena RomeroによるとMe'am Lo'ezの歴史は三段階、古典期・過渡期・新期に分かれるとのこと。

古典期。ラビ・ヤアコーヴ・フーリー(Rabbi Ya'akov Khuli)1689年エルサレム生まれ、1732年イスタンブル没)主導のもと行われましたが、1730年に創世記を出版し、続いて出エジプトの途中まで出版した後に病に倒れ、その後その仕事は 数世代に亘って受け継がれます。エディルネのラビでダヤンであったラビ・イツハク・マグリッソ(Rabbi Yitzhak Magrisso)は1733年に出エジプトの続きを完成させ、レビ記と民数記をそれぞれ1753年、1764年に完成させます。その後エルサレムのラビ・イツハク・シュマリア・アルグエテが申命記を部分的に完成させ、1773年にイスタンブルで出版。
五書についてのMe'am Lo'ezは以上創世記2冊、出エジプト記2冊、レビ記・民数記・申命記各一冊の計7冊になります。

過渡期。その後19世紀に入り五書だけでなく、預言書・諸書に関しても部分的に仕事がなされるようになります。通常五書以外のMe'am Lo'ezは「質が落ちる」と語られますが、その辺はどう違うのか、二次資料を当たり始めた現時点の自分にはよくわかりません。
ヨシュアについて記したのはエディルネのラビ・ラハミーム・メナヘム・ミトラニ。彼は1844年に作業を始め、一巻の初版をサロニカにて1851年に出版(二版は1867年同地)、その後作業途中の原稿を1862年の火事で消失、露土戦争の戦果を避けて1866年にエルサレムに移住するなどかなり苦労したようですが(p.123)、最終的に1867年彼が死去した後、作業を手伝っていた息子が完成させ1870年にイズミルで出版します。また、エステルについてはあんまり触れられていませんが、イズミルのダヤン、ラビ・ラファエル・ハイイム・フォントリモリ(Rabbi Rafael Chaim Fontrimoli)によって出版されています。この論文では出版年が抜けていますが、おそらく1864年が初版でしょう。

新期。過渡期と新期を分けるのは近代と西欧啓蒙の影響が見られるか否かという点のようです。個人的には過渡期の年代も、1839年のタンズィマート後なので怪しいような気もしますが、今後の課題です。なんにせよラファエル・ベンヴェニステがルツを記し1882年にサロニカで出版、イツハク・イェフダー・アバがイザヤについて記したのが1892年サロニカにて。コヘレトは少し変わっていて、2バージョンあります。シュロモー・ハ・コヘンが「ヘシェク・シュロモー」と名付けたものは1893年エルサレムで出版。ニスィム・モシェ・アブドゥが「オツァル・ホフマー」と名付けたものがイスタンブルにて1898年出版。どうも後者の方が前者よりも包括的だとか(p. 123)。ただ、この論文ではヘシェク・シュロモーもMe'am Lo'ezに含めていますが、Rabbi Aryeh Kaplanなんかは含めていないようです。最後は雅歌で、ハイイム・イツハク・シャキー(この人個人的にずっと気になってます)の手によって1899年イスタンブルで出版。

以上が伝統的なMe'am Lo'ezの歴史です。ヘブライ語や英語訳が聖書全体にわたってあるため、もともとユダヤ・スペイン語であると思いがちですが、実はそんなことありません。というのはMe'am Lo'ez(Yalkut Me'am Lo'ez)のヘブライ語への訳者であるラビ・シュムエル・イェルシャルミー・クロイツァー(Rabbi Shemuel Yerushalmi Kreuzer)がMe'am Lo'ezのプロジェクトの理念を引き継ぎ、ユダヤ・スペイン語で記されてない聖書の他の書物全てに、今度はヘブライ語で記したのでした(p. 124)。


さて、Me'am Lo'ezの画期的だった点はなんといっても「万人が理解できるユダヤスペイン語で、万人(’para el hamon ha'am’, Me'am Lo'ez: p.7)に対して、包括的にラビユダヤ教の伝統的知識・観点を提示した」という点にあります(p. 119)。
それまでのセファルディー社会では重要な著作はほとんどヘブライ語で書かれ(ヨセフ・カロのシュルハン・アルーフを思い出されるとよいと思います)、それに関するユダヤスペイン語訳はあったものの、次第に大多数のセファルディーたちは経済的後退とともに文化的後退も余儀なくされ、ヘブライ語書物へのアクセスができなくなっていきます。フーリーの時代には彼自身がMe'am Lo'ezの序文(ヘブライ語とユダヤスペイン語がある)で述べているように、子々孫々受け継がれてきた書物は各家庭にあるものの、ヘブライ語にアクセスできないために埃まみれになってる、家に帰っても読める本がない、毎週土曜の礼拝でも自分が何を言ってるのか分からない等々、という看過できない状況だったようです。フーリーの上記記述は聖なる言語ヘブライ語でなく俗語・ユダヤスペイン語で著作・翻訳をする正当性を他のラビ達に納得させるという意図もあったかと思いますが、結果としてMe'am Lo'ezは爆発的に普及したようです。「他の本はなくともMe'am Lo'ezだけは持ってる」というような家庭も多かったとのこと(この手の話は至るところにでてくる)。
Me'am Lo'ezはユダヤスペイン語、その当時のセファラディーの万人が理解できる言語で書かれていたため、今までユダヤ教の伝統的知識の享受者でなかった女性に対して大きな役割を果たし、たとえ文盲であったとしても読み上げられるのを聴くことで、女性のユダヤ教理解に多大な貢献を果たしたとのことです(p. 120)。この観点に関しては著者が別の論文で書いているようなので、また紹介できればと思います。


最新の論文の割には特に新知見があるとか、結論が用意されているというのではなかったですが、Me'am Lo'ezの持つ重要性がコンパクトに述べられて有用だと思いました。

2011年12月25日日曜日

リトアニアのエルサレム

西暦の今年末に、次の本が出版されます。
余計なお世話でしょうけど、イスラエルやイスラーム諸国じゃあるまいし、何もキリスト教歴のこんなド年末に出さなくてもいいと思うのですが…。

Jerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural HistoryJerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural History
Jerold C. Frakes

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概略は以下の通り。

Yerusholayim d'lite: di yidishe kultur in der lite (Jerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural History) by Jerold C. Frakes contains cultural, literary, and historical readings in Yiddish that vividly chronicle the central role Vilnius (Lithuania) played in Jewish culture throughout the past five centuries. It includes many examples of Yiddish literature, historiography, sociology, and linguistics written by and about Litvaks and includes work by prominent Yiddish poets, novelists, raconteurs, journalists, and scholars. In addition, Frakes has supplemented the primary texts with many short essays that contextualize Yiddish cultural figures, movements, and historical events. Designed especially for intermediate and advanced readers of Yiddish (from the second-year of instruction), each text is individually glossed, including not only English definitions, but also basic grammatical information that will enable intermediate readers to progress to an advanced reading ability. Because of its unique content, Yerusholayim d'lite will be of interest not only to university students of Yiddish language, literature, and culture, but it will be an invaluable resource for scholars and Yiddish reading groups and clubs worldwide, as well as for all general readers interested in Yiddish-language culture.


以上の説明から分かるように、基本的には中級者、文法をある程度終わった人向けのようですが、とても興味があります。
私の力では今はまだ手も足も出ませんが、来年中には読めるようになる…といいな、と思っています。
ちなみにイディッシュ学において、方言や生活習慣といったものに基づいたサブグループは、基本的にリトアニア・ポーランド・ガリシアに三分類されるようですが、この場合の「リトアニア」とは歴史的リトアニアのいかなる領土とも一致するわけではありません。従って上の「Litvak」はヴィルナ周辺のアシュケナズィーのみならず、ミンスクあたりまでも含むことになります。イディッシュのリトアニア・ポーランド方言の境目はゲフィルテフィッシュの味つけ等とも一致するというのが面白いですね。

なお、著者は以下のような同じく興味深い本も出版しています。こういう本は、興味はあるんだけどそこまで専門じゃないし…という人が手に取りやすくてすごく助かりますね。

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ちなみに「リトアニアのエルサレム」とは上にも書いてますが、ミトナグディームの代表である「ヴィルナのガオン」ことRabbi Eliya Shlomo Zalmanで有名なヴィルナ、ヴィリニュスのことです。ところで「〜のエルサレム」って多いですね。どれだけあるんでしょうか。バルカンのエルサレムとかエチオピアのエルサレムとかは聞いたことあります。

ヴィリニュスは去年の秋に、本物のエルサレムから旅行で少し訪れました。
リトアニアを歴史的なユダヤ教の中心地として紹介する日本人のブログ等はまだまだ少ないでしょうから、機会があればまた写真等で紹介できればと思います。

2011年12月23日金曜日

ラビとの懇談

昨日はこちらにお住まいのアメリカ系ラビさんに、ハラハー(ユダヤ教宗教法規)講読の前の導入として、(現代)ユダヤ教の基本を講義してもらいました。ご本人はもう70を超えておられるのですが、矍鑠(かくしゃく)としており、説明・ポイントが明確で分かりやすい講義でした。

ラビさんが仰られたことは、宗教としてのユダヤ教のコアの部分。究極的には入門書等に「書いてある」ことなんですが、こういうコアの部分というのは、人生を賭したその実践者が、自分の面前で、自分(達)に向かって口伝してもらうことによって、初めて自分の血となり肉となるものだと思っています。勿論もうこの世には存在しない人間からも学ぶことは出来ますが、やはり口伝してもらった方が、凡人としては体に残ります。


ラビさんのお話では、聴衆が日本人で必ずしもユダヤ教を専門に勉強してきたわけではない人をも対象にしているためか、基本的な、宗教としてのユダヤ教を説明して下さいました。以下は自分なりに理解したところのもので、ラビさん本人の言や考えとは必ずしも一致していないかも知れませんが、どうぞご海容ください。



まずは「宗教」と「哲学」の違い。両概念、特に前者については個々の宗教学者の議論などに深入りすると永遠に終わらなくなりそうなので置いておきますが、ラビさんの理解によると、宗教とは信仰体系と行動(規範)体系を合わせたもの。哲学とは創造主を認めず、世界のみを考察し、思惟の対象とするもの。
哲学と宗教の違いについて、そして宗教と信仰・行動の関係を説明するものとして、ここがユダヤ教ぽいのですが、創世記の1章と2章を引き合いに出して説明して下さいました。

文献学としての近代聖書学の出発点の一つでもあるので有名な話ですが、創世記1章と2章では「神」を指示する語が違います。創世記1章では神はאלוהים(エロヒーム、なおヘブライ語表記はクティーブ・マレー)によって指示されますが、他方2章では突如יהוה(「みだりに神の名を唱えない」ため伝統的にアドナイと発音します)、正確にはיהוה אלוהיםとして指示されます。

そのことを踏まえた上で、まずラビさんはאלוהיםがヘブライ語形態論としては複数形になっていることに注目し、これを「神の諸力」と解釈します。
(なおこの解釈がどこに由来するかは不勉強なため知りませんが、イスラームにおける99の神名أسماء الله الحسنى‎を連想させ、なんとなく中世の頃かな、と愚考しますが知ってる方がおられたらご教示下さい。)
そしてこの「神の諸力」により宇宙・この世・世界・自然が創造されたとされます。創世記一章のポイントである、「創造主」と「世界」、この両者を分離し、信仰やそれによる行動を伴わなず、「世界」を考察・思惟対象にするのがすなわち「哲学」であり、他方この「創造主」と「世界」を結びつけるのが「宗教」である、と。

そして第二章に至って「創造者」としての神、即ちאלוהיםという呼称だけでなく、その前に「יהוה」がつきます。アドナイאדונייというのはヘブライ語で「我らの主」という意味。ここに至り、創造主אלוהיםとしての神だけでなく、被造物である人間の造物主、信仰対象אדונייとしての神、という告白であるという解釈が成し得ます。この創世記第二章の「神」の呼称の変化をラビさんは「信仰」の開始であると解釈します。つまり第一章では「創造主(の諸力)」と「世界」を結びつけ「宗教」となり、二章でその「創造主」を「我らが主、創造主」と呼称が変更され、「信仰」が発露し、告白される、そしてその「信仰」とは「創造主」の「言葉」を前提し、その「創造主の言葉」が「行動規範」を定めている、とのこと。



他にも様々なことを話して頂きましたが、もう一点、私がした質問「ユダヤ教における祈りの目的とはなにか」という回答をご紹介します。

まず「祈り」תפילהの語根であるפללはラビさんによると本来「話す」の意とのこと。これに基づいて祈りとは即ち「神と語る」ことである、と。そしてその祈りの内実は三つに大別され、「PAT」と覚えると良い、と教えてくれました。PATとは即ち to praise, to ask, and to thank。

また先の議論にも関係しますが、伝統的にはシェマアの祈り、すなわち申命記6章4〜9節のうちの「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(5節、新共同訳)の「בכל לבבך ובכל נפשך ובכל מאודך(心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし)」というのは伝統的なユダヤ教の解釈では、「mind, feeling, behavior」を尽くし祈れ、即ちここでも「祈り」は単なる「信仰」の領域に留まらず、「行動」、実践にも結びついているとのこと。



キリスト教については多少は皆知ってるだろうという思いがあるのか、終始この「行動(規範)」ということに強調が置かれたお話でした。
おまけとして、「ラビとはそもそも何か」という自己紹介の話で、「菩薩のようなものです」と仰ってたのが印象的でした。

2011年12月19日月曜日

平成23年度日本語教育能力検定試験

この前10月に1ヶ月弱ほど帰国した折、特に切羽詰って必要だというのではないのですが、前から興味はあったので平成23年度日本語教育能力検定試験を受けてきました。
本日、幸いにして合格したとの報を実家より受けました。
ホームページ(http://www.jees.or.jp/jltct/result.htm)で確認しましたが、今年は合格者最多で、合格率も最大(26.6%)だったみたいですね。いい年に当たりました。
受験経験なし・独学でしたが、高い受験料を払って無事に合格できてひと安心です。
忘れないうちに実践的な面を記録しておこうと思います。

まず、今年度から試験傾向が変わりました。
過去問と比較する限り、公式声明通り出題範囲が変わったというよりも、「基礎項目」を定めることにより重点を置く部分が明確化されたという印象です。来年度試験がどう出るのかは分かりませんが、個人的には去年度までの方がマークシートで点を取りやすかったような気がしないでもありません。
今年度は、「日本語の構造」というコアの部分は当たり前として、言語教育法・実技というプラクティカルな面での出題が今までよりもかなり多くなったと感じました。
反面、暗記すれば点を取りやすい異文化接触、異文化理解、社会言語学、言語習得等は少なかったように感じます。時事的な、up-to-dateな話題は例年どおり出題されました。
今年の最低基準が何点で自分が何点かは分かりませんが(過去は振り返らない主義です)、手応えは結構ありました。

10月に試験を受けてからイスラエルに戻り、そこからセメスターが始まって忙しくなったのでもう遙か彼方昔のような感じがしますが、当日は実質試験時間に比べて待機時間や休憩時間が多く、8時間くらい大学の椅子に座ってた記憶があります。前日まともに寝れなかったので辛かったです。あと、例年通り若い男性は少なく、年齢層は高め。席は後ろから二番目でしたが、聴解の音声が聞こえにくいということは特にありませんでした。



これから勉強を始ようとする人がおられるかも知れませんので、個人的な経過も書いておこうと思います。

検定試験3つのセッションに別れ、1セッション:マークシート、2セッション:聴解、3セッション:マークシート及び記述となり、計4時間の長丁場、240点満点、うち聴解が40点、記述が20点です。

まず、独学で合格した上での感想ですが、ある程度戦略を練ってやるべきことをちゃんとすれば、早い人(つまり基礎学力があって勉強に慣れてる人)は一ヶ月程度の勉強期間でも合格可能だと思いました。

私自身は余裕を持って半年くらい前から始めましたが、それは使用した教材のためです。NAFL(http://shop.alc.co.jp/course/ld/)の教材を中古でまとめて入手したのですが、リンク先をご覧になればお分かりのとおり、24冊もあります。内容自体はコンパクトにまとまっており(失礼ながら執筆者によって出来不出来はもちろんありますが)、広く(浅く)出題範囲の9割くらいは完全にカバーすることができると思います。残り1割は上述した日本語教育に関する時事問題及びカバーしきれない問題──例えば危機言語に関する問題で「現在地球上の言語の大部分は消滅に向かってるが、その速度や如何?」という問題、この問題を出すのはどうかと思いますが、デイヴィッド・クリスタル『消滅する言語』に従って二週間に一言語という解答──です。

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私は教材自身が面白そうだったのと、検定合格は一つの目安で、そもそも言語学・日本語学・日本語教育学に興味があったので、この24冊を文字通り真面目に最初から最後まで読んだため、結構時間がかかりました。
ただ当たり前の話ですが、この24冊全てが等しい割合で出題されるはずもないので、検定合格が目標であればこの24冊全てに等しい時間をかける必要はなく、むしろ効率が悪いと言えます。

日本語文法、教授法、音声学が最重点のため、日本語文法・音声学は補助教材・問題集を追加してガンガンやった方が良いと思います。特に音声学・聴解は全くの初歩から始める場合原理をしっかり抑える必要があるので、ごまかしが効かないので必ず勉強する必要があります。

去年まではそれに加え、第二言語習得や中間言語、 異文化適応や異文化理解、学習心理学等の基礎的な問題が結構たくさん出題されてましたが、今年は例年に比べて出題が少なかった気がします。この分野も語句を覚えれば必ず点が取れるので落としたくないところですね。
日本語史は個人的に興味があるのですが残念ながらあまり出ません。例年日本語教育史、特に明治以降が結構細かいところまで出題されて驚いた覚えがありますが、今年はさっぱり出ませんでした。

あとは細かい問題が時事も含めて色々出ますが、事前学習で対処しようのないものも結構多いです。対照言語学も結構出るのですが、そもそも私のように韓国語や中国語が分からないと解きようのない問題もありますので、これは韓国語・中国語学習者用のボーナス問題と考えて諦める他ないかも知れません。他にも各国言語事情・言語政策も時々出ますが、有名どころ以外をしっかりカバーするのは大変だと思います。今年はなんかタイが多かったです。この辺りはどれだけ幅広い知識を持ってるかを測っているのでしょうか。一般言語学、言語類型論等は以前に増して問題数が減ってる印象を受けます(得意分野なので稼ぎどころなのですが…)。あまりに「広く浅く」しすぎた反省なのでしょうか、今年は「日本語教師能力検定試験」という原点に立ち戻って日本語学・日本語教育学に集中していこうという意気込みが見られた試験でした。

とりあえず、日本語学一般(文法)、教授法・実習、音声・聴解を最重要と考えて勉強して、過去問をひたすら解きながらそれ以外の分野の出題傾向を把握して勉強すれば、そんな滅茶苦茶に難しい試験でもないので、できる人なら一〜二ヶ月でも大丈夫だと思います。

副教材として、
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このシリーズが読み物としても面白かったので中古で何冊か集めて読んでました。

もし検定試験を来年受けようと思っている人がおられたら、頑張ってください。
現役の日本語教師の方、いつもお疲れ様です。

2011年12月18日日曜日

ウルパンとは何か

日本語でウルパンのことについて書かれたページはそこそこありますが、私も色々思いつくままに書いてみようと思います。なお、このエントリーは学問的なものではなく単なる個人的体験記のまとめのようなものですのでご了承下さい。



まずそもそもウルパンとは、ヘブライ語学校のことです。
基本的にはイスラエルにアリヤー(帰還)したユダヤ人を念頭に置いているようですが、今はまあ別にユダヤ人であろうがなかろうが、授業料さえ納めれば基本的に誰でも入れます。「急に興味が湧いたため、趣味で少しヘブライ語をば」とかでも問題ありません(私のケースです)。

大体街ウルパン、大学ウルパン、キブツウルパン等に大別(そういう公式のカテゴリーがあるわけではない)され、多少はウルパンの性格や受講者の傾向、目的が変わるようです。私は全部行ったことはありませんが、どうも話を聞く限りそのようです。
語学「学校」ですので、想像できるように公立・私立に分かれます。私立は独自に色々していますが、公立と違って補助金が出ないため、値段が高くなる傾向があります。

レベルは共通してアレフ、ベート、ギメル、ダレット、ヘー、ヴァヴと、ヘブライ語アレフベート(アルファベット)の順に6段階まであります(公式にはヴァヴで終わり)が、必ずしも学校間で完全に同じレベルではない場合があるらしく、やっぱりレベルの上下や重点の置きどころの違いがあるようです。勿論最終的には自分が頑張って実力をつければ問題ないですが。

私が今までに参加したことがあるのは、ヘブライ大学 アレフ、ダレット、ヘー(以上夏の二ヶ月集中コース)、ヴァヴ(セメスター、現在進行形)、街ウルパンの一週間集中コースです。他のは他の人が参加したのを参考に聞いたくらいです。
街ウルパンの一週間集中コースは置いておいて、ヘブライ大でのウルパンの様子をメモがてら書いていこうと思います。


・期間、時間

通常、夏の集中コースだと二ヶ月(今年は一ヶ月+一ヶ月という換算方法)、セメスターだと1セメスター(三ヶ月ほど)で1レベルが終わります。順調にいけば。
時間は夏の集中コースだと、年によりけりですが、一日210分〜255分(75・60・75、 90・75・90)を週に5日、つまり平日毎日(日曜〜木曜)勉強します。この一日あたりの時間は実体験なのですが、アレフ、ダレット、ヘーと上がるにつれて、偶然なのですが毎回一日あたり時間数が増えて、最終的にヘーでは死ぬかと思いました。週末が来る前に終末が来るのではと錯覚したことは一度や二度ではありません。
なお、イスラエルではハイファを除いて金曜の夕方から安息日に入ると公共交通機関が止まるので、観光的なことは頑張らない限り出来ません。下手すると空港と嘆きの壁と大学しか知らない、ということにもなりかねませんので注意。

セメスターウルパンは、レベルによるんですがガクッと授業時間が減ります。夏しか知らない身としては驚愕です。ヴァヴは一番少なくて、週二日、90分x4(2コマずつ)。夏の255分x5日を経験した身としては、あんまり勉強してる気になりません。


・教授法

基本的にすべて直接法(ヘブライ語でヘブライ語を教える)です。が、とはいってもアレフ、ベートの教科書(共通)では単語の説明等は英語です。効率を考えて高校程度の単語力はさすがに欲しいところ。
あと、下のレベルであればあるほどペアワークが多いです。このペアワークが人によっては苦痛なので、ペアワークになると何処へか消える人もいます。


・人数

ケースバイケースですが、他の語学学校と同様、下のレベルほど多いです。ヘブライ語の特徴として、特に大学の夏集中コースの場合、アメリカ系ユダヤ人が夏休みだしお勉強がてらチョロッと行ってみようか、て感じの参加者が非常に多いです。教室の人数はこれもケースバイケースですが、多くて20人超。多いです。
ハイファ大とかだと人数制限をもっと厳しくしている(1クラス12人までとか)みたいなので面倒見はそちらの方がいいかも知れません。


・場所

ヘブライ大で受ける場合は当たり前ですがエルサレムのヘブライ大、外国人別科棟で受ける場合と本科の教室で受ける場合の2パターンを経験しました。
どちらにせよ、部屋が狭いとか広いとか以前に机と椅子が使いにくい。なんであんな使いにくいんだ?あと、アジア人には冷房がキツ過ぎるのが普通。要羽織りです。


・参加者

様々です。
ヘブライ大学で言えば、パレスチナではなくイスラエルの大学(つまりヘブライ語が必要)の進学を考えてるアラブ人、上述した若いアメリカ系ユダヤ人(アメリカ在住)、カトリックの神父、聖書学やユダヤ学選考のドイツ人(プロテスタント)、イスラエルに移民した新移民(既に数年在住)、プロテスタント韓国人(全レベルを通して多い)、クリスチャン日本人、インド人のシスター(マラヤーラム、マラーティー、ヒンディー、ベンガル語を操る)、交換留学で来ている中国人・フィンランド人、日本人、外交関係者、教授、物好き(日本人に多い)、パレスチナ研究者、NGO / NPOスタッフ等々、ズラズラとリストが続きます。
喧嘩はあんまりしません。


・寝床

通常は、最近まとめて建てた、大学から徒歩10分ほどの新しい学生寮に入ることが多いですが(普通に申し込むとそこに入れられる)、私はその学生寮にいると生気を吸われる体質になってしまったので、実際にはそこで暮らしたことはありません。通常は5人用フラットで、個室です。埋まらなくて二人だけになったりすることもあるようです。セメスター中にメンバーが入れ替わることも多々あるようです。
私の場合は、アレフ、ダレットの時は、今思えば滅茶苦茶ですが、東エルサレム・旧市街近くの安宿に泊まってそこからバスで通ってました。今は家を借りてます。


・値段

移民でない限り、特に補助や学割といったものは効きません。あってもいいと思うんですが。
これもケースバイケースですが、ヘブライ大学の場合夏の2ヶ月間集中コースは、2012年度夏の集中は2200US$とのこと。ここ数年、おそらく毎年値上げしてます。
学生寮は同じく2012年度は2ヶ月で1120US$とのこと。
http://overseas.huji.ac.il/hebfees


・教育方針

街ウルパンの場合、基本コンセプトが「イスラエルで暮らす」「イスラエル市民になる」、大学では加えてアカデミックなものが加わります。そもそもが新移民にヘブライ語とイスラエルに関することを叩き込むためのもののようですので、全レベルを通じて文法重視というよりはコミュニカティブアプローチ、単語重視です。とにかく喋る、単語を繋げる、というのが初級レベルの特徴。文法事項の学習はするにはしますが、日本でのように文法重視という感じではありません。なお、動詞変化や構文は、復習も兼ねてか同じようなことを毎レベルやったりします。


・宿題

夏は山のように出ます。
特に今年の夏のヘーは酷かったです(褒めてます)。普通に毎日4,5時間かかってました。
先生にもよると思いますが、セメスターは思ったより出ません。
街は分かりませんが、大学ウルパンに関しては「プロイェクト」というでかい宿題みたいなのが最後に出ます。ダレットに参加した年がプロイェクトのみならず、追加テキストや特別講義もキブツ関係ばっかりでうんざりした記憶があります。


・評価

出席、課題提出、小テスト、中間テスト、選択授業、プロイェクト、期末テストによって査定。なお惜しくもギリギリ基準点に達しなかった場合でも、追試を受けたりすることができるようです。基本的には頑張って通してやろうという心積もりらしく、「基本的にウルパンの先生と採点者はシャマイ派というよりはヒレル派なんだ」と言っているのを聞いたことがあります。


・教科書

アレフ、ベートは共通の一冊本で、それより上のレベルはその時々によって違いますが、普通は二冊以上、リーディング用と文法(動詞・構文に分かれることが多い)用になります。
教科書の内容としては「立派なイスラエル市民になるため」の内容が盛り沢山で、多分ヘブライ語の特徴だと思うんですが、要求される言語外知識がかなり多いです。たとえばアレフの半ば辺りで既にマイモニデス(中世の思想・哲学・医者)がどうしたとか、メアシェアリーム(エルサレムのユダヤ教超正統派地区)がどうしたとかが出てきますし、期末試験のリーディングの内容は死海文書でした。英語に例えると、中一の二学期中間試験で『カンタベリ物語』がお題として(当然リライトされて)出るようなもんでしょうか…。ベートではミドラシュとかヤヌス・コルチャックやアレフベートの起源等が出てきてた気がします。内容は、個人的には工夫されててどれも面白いと思います。
ヘーの教科書では「諸国民の中の義人」、杉原千畝(正確には奥さんのインタビュー)なんかも出てきました。


・言語外知識

の要求レベルが高いと上に書きましたが、最低限基礎的なイスラエル史、ユダヤ教、ユダヤ教の祭り・習慣、聖書、キブツ、シオニズム、イスラーム、地理、国際政治、19〜20世紀ヨーロッパ史等の知識がゼロだと、テキストを読んだ時、初見では「???」となることが多いかも知れません。勿論全部を全部カバーできるはずはありませんが、テキストは「立派なイスラエル市民としての教養」を要求してきます。
個人的な経験として、ヘーのテキストで、「これだーれだ?」という問題で当てられたのが、なんとか派(忘れた)のハシディズム(18世紀以来の東欧発のユダヤ教敬虔主義運動)のレッべ(指導者)で、さっぱり分からなかった思い出があります。クラスの半分以上は分かってたみたいですが。その前のミッキーマウスを当ててくれたら良かったのに。
また、アレフで親族名称を学習する課で、普通に族長を使って教えてくるため、当時聖書も読んだことがなかった身としては大変でした。「イサクから見てアブラハムはなんでしょう?」「(皆で)おとうさーん」とか、「じゃあヤコブから見てアブラハムは?」「(再び皆で)まごー」とかこんな具合に創世記の知識を前提に授業を進めてたので大変でした。


・選択授業

他のとこはどうか知りませんが、ギメルより上のレベルだと、夏のヘブライ大では(今年からセメスターも)アカデミックな内容の「選択授業」をどれか一つ取ります。個人的にはこれ大好きです。ダレットで取ったのは「19世紀エルサレム史」、ヘーは「ヘブライ語史」、ヴァヴは「聖書学の論文を読む」です。他にも「イスラエル社会心理学」「新聞を読む」「聖書の登場人物たち」「ユダヤ教入門」「イスラエル歌謡入門」等がありましたが、一つしか選べません。
ある程度レベルが上なので、レアリア(生素材)がガンガン出てきたりします。選択授業も通常の授業と同じように小テストがあったり、期末試験に相当するでかい宿題が出たりします。私の時は夏は週2コマ、セメスターは週1コマでした。ダレット、ヘー、ヴァヴで取ったこれらの授業はどれも凄く面白かったので、いずれ紹介できればと思っています。

選択授業とは少し違いますが、それとは別に通常の授業の時間を使って映画を観たり、ホールに移動して皆で歌を歌ったりします。概して日本人(やドイツ人)にはこの歌の授業が不評のようですが、私は大好きです。この歌の授業のおかげで音楽の趣味が広がりました。




以上、ダラダラと長く書きましたが、ウルパン、イスラエルのヘブライ語教授のレベルは、他の言語教授と比較して、非常に洗練されてレベルが高いと思っております。正直「ハズレ」の先生や教材に当たったことがありません(残念ながら他の言語では何度も当たりました)。先生も慣れてますし、進め方もうまく、なによりやる気が続きます(私の場合)。大局的に見てモチベーションの上下やきついと思うことはあるものの、今までヘブライ語を一度も嫌いと思ったことがなく、趣味で始めて「楽しいから」という理由でここまでこれたのは、ウルパン自体の質が全体的に高かったためだと思ってます。

2011年12月17日土曜日

Paloma Díaz-Mas, Sephardim

風邪は大体ましになりました。
まだ頭痛がしたりと本調子ではないですが、イスラエルでは特に(キリスト教暦の)年末年始の長期休み等は、ハヌカーという祭りを除いてないので頑張っていきたいと思います。

Sephardim: The Jews from SpainSephardim: The Jews from Spain
Paloma Diaz-Mas George K. Zuckre

Univ of Chicago Pr (Tx) 1993-02
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この本は題名が題名だからか、セファラディー(1492年にスペインを追放されたユダヤ人の子孫)関係の「入門書」としてよく勧められます。著者はスペイン人で、上に紹介しているのは英訳版ですが、参考文献にスペイン語文献・論文が多いので、スペイン語資料・スペイン語圏での研究の参考になるという特徴があります。
章立ては以下の通り。

1. Historical Background
  Jews in the Iberian Peninsula
  Sephardic Judaism

2. History of the Sephardim
  Exile to Christian Countries
  Sephardim in the East
  Sephardim in Morocco
  The Second Diaspora

3. Language
  Jewish Languages and the Speech of Spanish Jews in the Middle Ages
  Exile
  The Names of the Language
  Ladino
  Judeo-Spanish: A Fossilized Language?
  Haketia: Moroccan Judeo-Spanish
  Language Registers
  Current Status
  The Writing System

4. Literature
  The Bible and Religious Literature
  The Coplas
  Traditional Genres
  Adopted Genres

5. Sephardim and Spain
  Spain's Reaction to the Sephardim
  Sephardic Reaction to Spain

6. The Sephardim today
  Current Worldwide Status
  Sephardim in Spain
  Sephardic Studies

200ページ強の本ですが、結構ボリュームがあり、通読するのに結構時間がかかってしまいました。
「入門書」としてバランスが取れているのかどうか判断しかねますが、個人的な関心が言語・文学で、本書はちょうどその部分にページをかなり割いてくれているので良かったです。逆に歴史は手薄です。また、本書はあくまでも1492年の追放後のセファルディーを対象としているため、中世スペイン史についてはサラっと触れられているだけですので、その方面のことを知りたい方は別の書籍にあたって下さい。

特に文学で「Copla」という、私の理解ではヘブライ文学におけるピユートに少し似たジャンルがあるのですが、著者がこの分野の専門らしく詳述されていて興味深く読みました。Coplaは大体18世紀に入ったあたりから登場し始め、19世紀には盛況を極める、つまりユダヤ・スペイン語文学の最盛期と軌を一にするもので、20世紀初頭まで続くもので、内容は多岐に亘ります。聖書・ユダヤ教を題材として、一般大衆の教化を目的としたものもあれば、倫理徳目の涵養を歌ったものあり、オスマン帝国が近代との邂逅を果たした後は近代批判、あるいは歴史を扱ったもの、聖者伝(ラビや殉教者)を詠んだもの、シオニズム勃興後はアリヤー(イスラエルの地への「帰還」)を賞賛するものもあり、変わり種としては「料理のレシピ」まであるとのこと。また、セファラディー文学の正統から少し離れたところ、つまりシャブタイ派やその後のドンメ(シャブタイ・ツヴィへの追随者としてムスリム(マ)に改宗したユダヤ人及びその子孫)が書いたCoplaもあるそうです。

セファラディー文学で一番有名なのは、Ramón Menéndez Pidalの収集に代表されるロマンスでしょう(マドリッドのArchivo Menédes pidalにあるとか)。私自身も例に漏れず、セファラディーに一番はじめに興味を持ったきっかけはRomanceroでした。そのRomanceroですが、シャブタイ派及びドンメのものはまたそれぞれ存在するとのこと(同一のものとして扱うべきなのか否かはまだよくわかりません)。話はずれますが、この前エルサレムの古本屋で偶然お会いした研究者によれば、「シャブタイ派のロマンス及びそのメロディーは恐ろしいくらいに美しい」。これは気になります。

その他にもセファラディーによる彼らの言語意識の証言や、19世紀後半によるスペインのセファラディー「発見」及びその後に続くAngel Pulidoの"Los Israelitas Españolas y el Idioma Castellano"及び"Españoles sin Patria y La Raza Sefardí"の出版(1904, 1905)とその反応、フランコ政権時代の対ユダヤ人政策、等非常に興味深い・魅力的なテーマを紹介してくれておりますが、また復習がてらまとめたいと思います。

2011年12月11日日曜日

風邪

こういうことは滅多にないんですが、今月頭くらいに風邪を引いてしまったらしく、実に一週間以上も寝こんでおりました。
悪寒と発熱で日常生活が全てストップする日が続き、その後も治らないままズルズルと長引いていました。聞けば周りの人も同じような症状。皆総じて長期化するらしく、37度〜38度半ばくらいまで発熱しているようです。
授業を結構休んでしまったのが痛いですが、再発しない程度に頑張ります。みなさまもお気をつけて。