2012年1月8日日曜日

Regaladas de sus madres

Refael, Shmuel, 2010. 'Regaladas de sus Madres: Judeo-Spanish Women's Poetry on the Holocaust', European Judaism 43(2), pp. 76-91.

仮にもユダヤ教を勉強中の身として、ショアー(ホロコースト)に関心があります。
一昨年の秋に東欧を訪れた折、当時のアシュケナズィー(ヨーロッパ・東欧ユダヤ人)文化の「過去の」中心地を訪れ、往時を偲び、当時のゲットー跡や博物館、現存するシナゴーグや墓地、またアウシュヴィッツ以外の絶滅収容所も訪れました。
一般的にはあまり意識されていませんが、ショアーで犠牲になったのはアシュケナズィーだけではなく、セファラディーも含まれます。11月のエントリーで紹介した映画 "My Sweet Canary" でも紹介しましたが、特にギリシャの破壊は凄まじく、東欧の他の都市と同じく、サロニカ(テッサロニキ)の90%程度のユダヤ人(多くがセファラディー)は殺されました。

私が初めてその事実を意識したのは、プリーモ・レーヴィ(1919-1987)の小説においてです。日本でも竹山博英氏による流麗な翻訳で知られていますが、彼の『アウシュヴィッツは終わらない』の続編、『休戦』(最近岩波文庫に入りましたね)において「ギリシャ人」としてセファラディーのモルド・ナフムが出てきた時です。彼らは「スペイン語」でお互いに連絡を取り合い、商才に優れ云々、とあり、また、以下のような印象的なやり取りがあります。

「ギリシア人はそれまで、意味ありげに口をつぐんでいた。だが私が惨状を確かめようとして荷物を置き、縁石に腰を下ろすのを見て、問いかけてきた。 
『何歳なんだ?』 
『二十五歳だ』 
『職業は何だ?』 
『科学者だ』 
『それじゃあ、おまえはばかだな』とギリシア人は涼しい顔で言った。『靴を持っていないやつはばかだ』 
彼は偉大なるギリシア人だった。私の人生で、以前も、以降も、これほど具体的な英知の声が頭上に響くことはほとんどなかった。反論は不可能だった。その論旨の正しさは、目に見え、手に触れることができた。私の足には原形をとどめていない廃物が、彼の足には光り輝く脅威の品があった。弁解の余地はなかった。」
プリーモ・レーヴィ(竹山博英訳)『休戦』、朝日新聞社、1998、41項。

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(プリーモ・レーヴィの代表作であるこの二冊も非常にオススメです)

それ以来ショアーとセファラディーというテーマが頭にあったので、この論文を読んでみました。
この論文で著者はショアーに関して詩作をした女性に焦点を当て、その詩の特徴を分析し、「オスマン領での家父長的家族における伝統的役割への回帰願望」と結論します(p. 82, 87)。その結論の是非はさておき、なかなかに興味深い論文でした。

なお、ショアー研究とジェンダー研究が一体どのような関連を持つのか、ということについてはちゃんと先行研究があるようです(Ofer, Dalia and Lenore Weitzman, 1999. 'The Role of Gender in Holocaust Research', Yalkut Moreshet 67, 9-24(in Hebrew).)。ショアー研究においてジェンダーの違いというのは有意味なのか否かという問に於いて曰く、
①ショアー以前は男性と女性で持っている知識や技能に違いがあった
②大体において婦女子は成人男性ほど危険に直面しているわけではなく、成人男性のみが直接の脅威にさらされると信じられていた
③反ユダヤ主義政策における、男性・女性に対するナチス政権の態度の違い
④ドイツの政策に対する反応の違い、女性は全力で家庭的安らぎ(The atmosphere of the home)を守ろうとした
とのこと(p. 79)。

著者はすでにこのテーマに関する単著をものしていますが(Refael, Shmuel, 2008. Un Grito en  el Silencio:  La Poesía sobre el Holcausta en lengua sefardí: Estudio y antología (Barcelona: Tirocinio). http://ecom.tirocinio.com/shop.pl?ACTION=thispage&thispage=cat011.htm&ORDER_ID=309724059)、その中で詩作の時期を8段階(1940年代~90年代末・00年代初頭)に分けているようです。まず興味深いのは、ショアーに関する詩作をしたセファラディーのうち、全体の43%もの割合を女性が占めていること(p. 77)。セファラディー文学史において女性は通常「書く」主体とは成り得ません。もちろんそれは文学史において女性は全く位置を占めなかったというわけではなく、口承文学の伝統・伝承において非常に大きな役割を果たし、その文化的貢献は計り知れません(セファラディー口承文学選集の出版は多数に上ります)(p. 78)。
そのような伝統が徐々に変わり始めるのが20世紀に入ってから(前述の "My Sweet Canary" を想起してみて下さい)なのですが、何故敢えてユダヤ・スペイン語伝統が消滅の危機にさらされていくまさにその時に女性がその言語で「書く」ことを始め、あえてショアーについて書くのか、これは興味深い論点です。

また、ショアーについて詩作をした多くの女性は、大体ショアーが終わってから、そして一人の女性が多数の詩を詠む、というよりは一作のみ、というパターンが多いようです。著者はショアーについて詩作した女性で、十分に研究がなされた18人を挙げていますが、そのうち実に12人が一本のみの詩作。そして多くは1980年代と90年代に詩作をしているとのこと(p. 80)。そしてこれも興味深いのですが、18人中2人のみがサバイバー(Mayo Fintz, Bouena Sarfatty-Garfinkle)とのこと(p. 81)。

テーマとしては①「家族」の喪失への嘆き、②ショアーにおける女性、という2つの基本テーマに分類でき、18人中15人が①のテーマへの偏りをみせるようです(p. 81)

実際の詩の分析で興味深かったのを一篇抜粋します。
一つはRachel Farhí-Uzielによる 'Vijita'(訪問)。

「アウシュヴィッツ、ダッハウ、ベルゲンベルゼンから私の叔父・叔母・甥が私のキッチンに集まって、ショアー記念日の昼下がりにコーヒーを飲みに来る…。私の家族はこんなにも多かったのだ。彼らは泣かず、ただ彼らの悲劇を語るだけ。彼らは口を閉ざし、彼らの顔を想像している私を見ている…。」(p. 82-83)

キッチンはセファラディー女性にとって伝統的な領域であり、彼らの夢であるエルサレムの地(まさにこの詩人が語り、生きているその場)に、彼らを死の淵から招き、伝統的なセファラディー家族のパーティーへ呼び戻す。ナチスによって破壊された家族を再生し、そこで本人はショアー以前の伝統的な女性の役割へと回帰している、と著者は分析します(p. 83)。

他にもJudy Frankelの歌唱で有名なJani Adato Tarabulusによる 'O Mis Hermanos' (兄弟たち…)。があり、これを著者は基本テーマ①の「家族」の範囲をギリシャのユダヤコミュニティまで広げたものと解釈します。

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著者のShmuel Rafaelの本(前掲)はスペイン語及びユダヤスペイン語ですが、英語でもIsaac Jack Levyが以下のような本を出しているので、興味がある人は是非手に取ってみて下さい。私はまだ未読です。

And the World Stood Silent: Sephardic Poetry of the HolocaustAnd the World Stood Silent: Sephardic Poetry of the Holocaust
Isaac Jack Levy

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