2012年1月15日日曜日

昨日のセンター試験・倫理に抗議


昨日行われた、大学入試センター試験「倫理」の第2問設問6に、イスラームとユダヤ教の比較という問題が出たことを知りました。
問題自体はまだ http://www.asahi.com/edu/center-exam/shiken/rinri/rinri009.html 等で見る事ができますが、そのうち消えるかも知れないため、問題文を掲載しておきます。


問6 下線部fに関して、クルアーン(コーラン)には、神がモーセに下したとされる十戒同様、十の戒律が列挙されている箇所がある。次に示す両者の要約を読み, イスラーム教とユダヤ教を比較した記述として最も適当なものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

【クルアーンの十の戒律】
神に並ぶものを配してはならない。
両親によくしなさい。
貧乏を恐れて子を殺してはならない。
醜悪なことに近づいてはならない。
理由なく命を奪ってはならない。
孤児の財産に近づいてはならない。
十分に計量し正しく量れ。
発言する際には、公正であれ。
神との約束を果たせ。
神が示した正しい道に従え。

【モーセの十戒】
私以外のどんなものも神とするな。
像を造って、ひれ伏してはならない。
神の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を心に留め、これを聖とせよ。
父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家をむさぼってはならない。

① 両宗教ともに神を唯一なるものと考え、唯一神以外の神を崇拝することを禁止しているが、ユダヤ教では偶像崇拝を許容している。
② イスラーム教の神は超越者ではないので、超越神を信奉するユダヤ教のように、神の名をむやみに唱えることを禁止する戒律はない。
③ 人間の健康と福祉は両宗教において何よりも重視されているので、ともに過労を防ぐために一切の労働を停止し休息をとる日を定めている。
④ 両宗教が定める倫理規範においては、力点の置き方が多少違うものの、ともに親孝行と並んで社会的な振る舞い方が規定されている。




眠い目をこすりながらパソコンを開け、このような問題が出たという事実を知り、一気に目が覚めてしまいました。

クルアーンに「十戒(十の戒律、「十戒同様、十の戒律が列挙されている箇所」)」など、ありません。
少なくともそのような言い方はしません。
そして(参照していると仮定して)原文の要約にもなってません。

内容からして、おそらくクルアーン17章22節~39節に取材したと思われる(別の箇所かも知れないし切り貼りかも知れませんが)のですが、これを「十戒」などと呼ぶ伝統は聞いたことがありません。近代以降のユダヤ教の猿真似をしたい、アメリカ=イスラエルの勝ち組に対抗したい、という欲望が働いて提唱した資料や人物、あるいはこのようなことを述べる西欧文明産の比較宗教学者(さすがにいないと思いますが)がどこかにいるのかも知れませんが、少なくとも私の同僚・先輩の専門家に相談してもそんな「十戒」など知らぬ存ぜぬ(当たり前ですが)。日本人の専門家が書いた「まともな」イスラームに関する本でもこのような記述が出てくるようなことはあり得ません。少なくとも私は知りません。そして古典ではクルアーンのこの箇所を「十戒」などではなくむしろ「二十五戒」と述べる程です(例えばジャラーラインのタフスィール17章22節参照)。

誰が問題文を作ってるのか知りませんが、仮にも大学入試センター試験という、受験生にとっての登竜門のみならず、明日以降も未来の大学受験生が「過去問」として勉強し、また有志の方々が今日明日と「力試し」で解くことになる問題です。もちろん人文科学における実証主義的真理(ここでは、問題における「問い」「答え」の内容は「真実」であるということ)なんていくらでもケチのつけようがありますが、この問題の妥当性は論外です。プラクティカルな側面からすれば、例え問題文の内容が偽でも「読解」として解けるので受験生諸氏には問題がありませんが、この「問題文は真である」=「イスラームにも十戒(十の戒律)が存在するという衝撃の事実!!」ということを鵜呑みにする方々が日本に大勢おられるはずです。

「(ラビ)ユダヤ教」と「イスラーム」を、伝統を共有するアブラハム的一神教として捉え(特にイスラーム)、なおかつキリスト教と二者の対比を図るためにハラハー・シャリーア(フィクフ)(らしきもの)を持ち出すのは構わないと思いますが、流石にお粗末というか、そもそも間違ってます。

そして間違ってるのも最悪なのですが、さらに輪をかけて、その「十の戒律」なるリストの文言じたいも、原文におそらく手を入れて(原形がよくわからない)「改竄」した酷いものです。つくづく酷いですね。



素朴な疑問なのですが、出題者はどこでこの「アイディア」を入手した、あるいは思いついたのでしょうか。
私がルートとして思いつくのは、

① ろくでもない「入門書」「概論」、あるいはよくわからないムスリムから直接聞いた内容から引っ張ってきた
② 問題文作成の便宜のため自ら「十戒」をクルアーンから抽出した
③ 「イスラーム」という、同じ名前でよく似た宗教体系を持つ、別の宗教がこの世のどこかに存在し作成者はそのことに明るかった
④ 啓示を受けた
⑤ 神秘主義的コミュニケーションにより預言者ムハンマド(SAS)に教えてもらった

くらいです。

①が一番ありそうに思えますが、仮にも天下の大学入試センター試験の出題者はこんなおっちょこちょいな性格をしていて務まるものなのでしょうか。そもそもその地位まで昇りつめるのが難しいように私には思えますが。
②がその次にありそうに思えますが、そんな面倒なことをするくらいなら「入門書」かなんかを呼んで別の問題を作ったほうが費用対効果が高そうです。あるいは「十戒は必ずイスラームに存在するのだ」という確固とした信念の持ち主で、「発見」したのかも知れません。
③上に関連するのですが、人口に膾炙した「イスラーム」というアラビア半島生まれの宗教体系とは別の宗教体系で、「イスラーム」という宗教が存在する可能性は否定し切れません。出題者がその信者である、としたら平仄が合いますが、上のように「発見」したのであれば信者数はまだ一人だけかも知れません。あと、仮にこれが真だとすると、ややこしいので別の名前を使ってくれると非常に助かります。
④啓示を受けたと主張するのであればしょうがないですが、イスラームの伝統ではムハンマド(SAS)で預言の封印がなされますので、むしろシーク教やバーブ教、バハーイー教等とよく似た道程で生まれた、私たちが知る「イスラーム」とは別の宗教になるでしょう。
⑤啓示ではなく、スーフィーの伝統に置いて超自然的コミュニケーションでもって真理(の一部?)を獲得したというのであれば、まずはイスラーム内部でコンセンサスを得た段階でセンター試験に問題として出題するべきでしょう。余計なお世話だとは思いますが、あまりこういうことは自分から広めない方が安穏な人生を送れるかも知れません。真理は茨の道と言われたら頑張ってくださいとしか言えませんが…。


いや、本当にどういう経緯でこうなったのか気になっています。
日本はイスラーム圏との歴史的交渉が必ずしも長くないのにも関わらず、戦前より極めて優秀なイスラーム学者(特に歴史)を輩出し、関連する啓蒙書・専門書のレベルも高いのに、なぜこのような問題が生まれたのか、ということで。
たとえばこれが各地カライ派とかドゥルーズ派とかイエメンザイド派とか山岳ユダヤ人の慣習とかのコアな問題なら、まあまだわからんでもないのですが。

0 件のコメント:

コメントを投稿