2012年1月21日土曜日

Rabbinical Exegesis in the Judeo-Spanish Romancero

Salama, Messod, 1997. 'Rabbinical Exegesis in the Judeo-Spanish Romancero', in Michel Abitbol et. ed. Hispano-Jewish Civilization after 1492, Jerusalem: Misgav Yerushalaym, pp. 55-80.

セファラディーによるスペイン語のロマンスを扱った論文です。
伝統的にこの分野ではスペイン本国の研究が強いのですが、どうもスペイン文学史やスペイン語史の傍流として研究してる研究者が多いためか、この分野ではヘブライ語やユダヤ教の知識が十分ではない、という事情があるようです。そのせいもあってか、大体のスペイン語詩研究者は、ユダヤスペイン語で創作された詩の独自性である、ユダヤ教の聖書解釈伝統についてほとんど無視してきたとのこと(p. 59)。

またスペイン本国の研究社はセファラディーによる詩作を、スペイン文学創作史の延長(イベリア半島では見つからないので「レア」)として捉える傾向があるのに対し、セファラディー研究者はどちらかというとそのような見方というよりは、単にスペイン語を使っているだけで別物、とみなす研究者が多いようです(p. 58)。

この分野に関しては私は素人のためその肌感覚がまだいまいち分からないのですが、スペイン本国のセファラディー研究は、特に詩やコプラに関して量が多いので気にはなっています。
ただスペインによる研究は時代によっては新伝統主義のバイアスがかかっていることもあるようなので、それは注意しなければなりません。(p. 58 註8)


さて聖書に取材したスペイン語詩はユダヤ人の占有物ではなく、追放以前にも詩作されたものであり、どうもそれを元にラビユダヤ教の聖書解釈伝統を織り込んでいったようなのですが(p. 67)、その例として著者は数種あげます。
一つはアケダー、アブラハムによるイサク献呈。これは私が原典で確認したものとしては偽ヨナタンなのですが、イサクがまさに屠られようとする直前、聖書では寡黙であったイサクがアブラハムに「ちゃんと動かないよう、犠牲としての義務を全うできるように縛ってけろ」とお願いする描写です(p. 71)。
そしてもう一つはこれに関係しますが、その後語られるサラの死因。これも個人的には偽ヨナタンで読んだのですが、サタンが関わっており、アケダーのことをバラしてサラがショック死するという解釈伝統が取り入れられているようです(p. 73)。
他にはモーセとイスラエルの民が紅海を渡る際に神が起こした奇跡に関して、イスラエル部族の数である12の道に割れた、飲み込まれたエジプト軍はファラオを除き全員溺死した、ファラオは悔い改め神を賛美したため九死に一生を得、その後ニネヴェを統治することになった等々の例が述べられています(pp. 73-79)。

ロマンスの伝承には聖書解釈の伝統も入っており、そのユダヤ教の聖書解釈の伝統が母から子へと歌い継がれた、というのは重要で、少しロマンチックですね。ラビ的・ヘブライ語的世界=学問世界とは別の世界である、名もなき大衆が後代へ伝える伝承と伝統の力強さを感じます。

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