2011年11月25日金曜日

kiwa / hotobori

小学校から大学まで一緒だった友人がこの度ソロ名義でCDを出すことになりました。パチパチパチ。買ってください。

hotoborihotobori
kiwa

Balen Disc 2011-12-21
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

試聴はこちらで出来ます。
http://soundcloud.com/takahisa-umehara

以下、紹介文。


balen disc から1st アルバムをリリースしたpolyphonic parachute のギタリスト、takahisa umehara のソロ名義『kiwa』による1st ソロアルバム。

サイケデリックで高濃度のpolyphonic parachute とは全く違う、明後日の方を向いた平常心サウンドからJim O'Rourke、John Fahey などに影響を受けた自身のバックグラウンドを明言するかの様な裸のギターソロや多重録音、打ち込み無しの手打ち三拍子テクノ、夕暮れ河川敷ダブ、トライバルにも聞こえるサイケデリックギタードローンなど、端っこで好き放題録り溜めたひとりぼっち宅録アルバム。

polyphonic parachute の相方、yuki kaneko によるお節介が介入した痕跡の見え隠れする楽曲もあり、彼によるポストプロダクションや、polyphonic parachute のアルバムに引き続き藤谷宏美が担当するアートワークはtakahisa umehara の"ひとりぼっち感"を奇妙に歪め、"バンドのギタリストが作るソロアルバム"というスタンスを強調しつつも、不思議なトータリティを醸しだしている。

このアルバムはtakahisa umehara の意外なセンチメンタルさと雑食性、それとは裏腹にギタリストとしての愚直さを鮮やかに露呈した上で、何故だか驚くほどに風通しの良いPOP な仕上がりになっている。




以上です。
トクマルシューゴとかエレクトロニカ方面が好みの方に特にオススメ。

2011年11月24日木曜日

日本学術会議公開シンポジウム

以下の内容で、日本学術会議の公開シンポジウムがあるようです。
参加自由・参加費無料ですので、お近くの方でお時間のある人は是非参加してみて下さい。
(そして内容を教えてください)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本学術会議
公開シンポジウム「いま、ともに、古典(伝統知)に学ぶ意義を、考える―現代文明の危機をのりこえるために―」

1. 主催:日本学術会議哲学委員会・日本哲学系諸学会連合・日本宗教研究諸学会連合

2. 日時:平成23年12月3日(土)13:00~17:00

3. 場所:日本学術会議講堂

※営団地下鉄千代田線「乃木坂」駅5番出口を出て左、徒歩1分。

プ ロ グ ラ ム

司会 丸井 浩 (日本学術会議会員、東京大学教授/インド哲学)

小島 毅 (日本学術会議連携会員、東京大学教授/中国思想)

13:00~13:10 開会挨拶

野家 啓一(日本学術会議哲学委員会委員長、東北大学理事/哲学)

13:10~14:40 報 告(各パネリスト20分)

手島 勲矢(日本学術会議連携会員、関西大学非常勤講師/ユダヤ思想)

「対話する科学のための二つの名前:中世ユダヤの伝統知から」

三中 信宏(農業環境技術研究所上席研究員/東京大学教授/進化生物学)

「科学的思考と民俗知識体系の共存:進化するサイエンスの源を振り返る」

岡田 真美子(日本学術会議連携会員、兵庫県立大学教授/環境宗教学・地域ネットワーク論)

「地域ネットワークに生きる伝承知の重み」

服部 英二(地球システム・倫理学会会長/哲学・比較文明学)

「現代文明の危機と伝統知」


14:40~15:20 討議者(ディスカッサント)のコメント:全体討論に向けて

中島 隆博(日本学術会議連携会員、東京大学准教授/中国思想)

村澤真保呂(龍谷大学准教授/社会思想史)


15:20~15:40 休 憩

15:40~16:55 全体討議

16:55~17:00 閉会挨拶  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2011年11月20日日曜日

My Sweet Canary

ヘブライ大学の先生二人に薦められて、「My Sweet Canary」という映画を週末に観に行きました。実はエルサレムで映画を観るのは初めてです。
(公式ホームページはこちら:http://www.mysweetcanary.com/


この映画はRosa Eskenazy(19世紀末〜1980)という、セファラディー系(1492年にスペインから追放されたユダヤ人の子孫)女性歌手を巡るドキュメンタリー。三人のミュージシャンとともに、彼女の生まれ故郷イスタンブル、家庭の経済苦のために移り住んだサロニカ(テッサロニキ)、その後活動の中心となったアテネ、を、彼女の作曲した様々な曲の演奏を交つつ巡るロードムービー。

この人のことを不勉強故全く知らなかったのですが、かなり興味深いというかなんというか、激動の人生を生きた人だなあ、という感想です。
音楽的には、これまた不勉強でよく知らないのですが、ギリシャの大衆音楽で20世紀前半から大きな影響を持った「Rebetiko」というジャンルのディーヴァ的存在で、誰からも愛されていたそうです。

彼女はユダヤ人の家庭に生まれたのですが、ユダヤ人であるという意識は希薄だったらしく、10代後半でキリスト教徒の男性と恋に落ち、駆け落ちして結婚したようです。その数年後に乳飲み子を残し夫はこの世を去ってしまうのですが、彼女は女手ひとつで子どもを育てながら歌手として生きていくのは不可能だと判断、子どもを手放します。

その後音楽的な成功を求めアテネに移り、そこでミュージシャンとして大成します。
しかしながらそうこうするうちに1940年にはイタリアがギリシャに侵略、その翌年の1941年にはナチスドイツにより制圧されます。
当時恋仲だったドイツ人上級将校の協力もあり、彼女はそれでも演奏を続け、偽の洗礼証明書を手に入れ、1942年には彼女自身のナイトクラブまで作ります。また対ナチ活動としてパルチザンを匿い、ユダヤ人を助け、彼女の家族もアウシュヴィッツ行きの移送列車から救います。

しかしそれも長くは続かず、ついに正体がバレ、三ヶ月ほど投獄された後、恋糸のドイツ人高級将校、及びギリシャ空軍に所属していた実子の助けによって放免、その後地下に潜伏したまま第二次世界大戦の終結を待ちます。

戦後は30歳年下の男性と結婚したり、アメリカツアーを行ったりとしましたが、60年代は活動が沈静化。その後あらためて音楽活動に精を出しますが、最期は孤独のうちに死んでいったようです。

激動の20世紀を生きた、一人の女性の軌跡。

イスラエルで作られた映画の割にはユダヤ色・セファラディー色・ユダヤスペイン語色がそんなに強くありませんでしたが、興味深く観ました。音楽も良かったのでサントラも購入。
日本で観れるようになるかどうかは分かりませんが、もし機会があれば是非。ヤスミーン・レヴィも出てますよ。




2011年11月19日土曜日

Travels to Yemen

エルサレムにイスラーム美術博物館(http://www.islamicart.co.il/en/travels_to_yemen_en.asp)というのがあるのですが、昨日そこの企画展「Travels to Yemen 1987-2008」に行ってきました。
そんなに大きくない美術館の特設なのでこじんまりとしてましたが、個人的にはこれくらいの方が一枚一枚の写真やキャプションをじっくり見れるので好きです。

個人的に面白いと思った写真は、ユダヤ人のお爺さんが聖書を上下逆さにして読んでいる写真。初め一瞬ヘブライ語が読めずに読んでるふりをしたのかと思っていましたが(失礼)、伝統の長いイエメン・ユダヤ人社会でそんなことが起きるはずはなく、彼らは上下逆さだろうが読むのに支障はないとのこと。
製本された「本」自体が貴重だったので、一度に一冊の本を複数人で読むために、このような「技術」が発達したらしく、本が十分にある現在も、伝統として次世代にもこの「技術」が伝えられているとのこと。面白いですね。

「次世代」と上に書きましたが、現在にもイエメンには数百人程度の規模でユダヤ人が残っているそうで、そのユダヤ人達はサトマール派(ユダヤ教の敬虔主義運動であるハスィディズム派の一派で、ナトレイ・カルタと同じようにイスラエル国家の存在を認めない)の援助を受けているそうです。(ラビ・)ユダヤ教に反する(と彼らが考える)国民国家イスラエルへの移住を阻止するために援助をしているのだとか。なるほど。

私自身は2006年にイエメンに行った際、マナーハという首都サナア近郊の村からハジャラという村に行き、そこで昔のユダヤ人地区を見たことがあります。

ハジャラ遠景
このように山に作られた集落なのですが、歴史的に上の方にムスリム、下の方にユダヤ人が住んでいたようです(ガイドの子ども談)。

ハジャラの旧ユダヤ人地区の住居跡
実際の住居跡はこのようになってて、もうハジャラには一人もユダヤ人はいないとのこと。現在はここはロバ小屋として使われてるとかなんとか。

上記住居跡の入り口部分を拡大。1268というアラビア数字が読めます。
ここハジャラではユダヤ人のジャンビーヤ(イエメン社会で男性が作る短剣のようなもの。社会的ステータスや所属部族などを表す)を買いました。

右手前にあるのが購入したユダヤ人のジャンビーヤ

イエメンの首都サナアはこんな感じです。

泊まってた宿から旧市街を見下ろす。

サナアの象徴の一つ、バーブルヤマン。

中に入るとこんな感じです。

近くでやってた結婚式の際の、伝統的な「ジャンビーヤダンス」

 昨日はイスラーム美術博物館に行った帰りにカフェに寄って、その後「My Sweet Canary」という映画を観ました、それはまた後日。

2011年11月13日日曜日

An Introduction to Aramaic

アラム語は少し前に、手近に先生がいなかったために独習したのですが、以下の教科書を使いました。

An Introduction to Aramaic (Resources for Biblical Study)An Introduction to Aramaic (Resources for Biblical Study)
Frederick E. Greenspahn

Scholars Pr 2003-06
売り上げランキング : 175588

Amazonで詳しく見る by G-Tools

「通常」、アラム語を勉強してやろうと思ってる人はヘブライ語の知識を既に持っている、つまり聖書ヘブライ語及び聖書にある程度通じている人が多いので、この教科書もそのような前提で組み立てられています。
この本は文典ではなく「教科書」ですので、一課から順に段階(文法事項)を追って学んでいくことができます。いきなり難しい文章を提示するわけではなく、徐々に徐々に量を増やし、原典に近づき、という工夫をしてますので、いきなり挫折してしまう、ということはおそらくないと思います。

ただ、後半になると読解量がグッと増えたり、難易度がボカンと上がったりするので頑張りましょう。あと、後半、まっさらのテクストにニクード(補助記号)をつけるところから始まったりするので、ニクードの知識があった方がベターです。

また、この本ではアラム語を学びながら初歩的なセム語学の知見を得ることもできます。私自身はアラビア語→ヘブライ語→アラム語ときたのですが、セム語の観点からの説明は非常に有益でした。


以下章立て。計32章あります。
1章から27章まではエズラ、ダニエルを中心に、前半は原文を優しくリライトしたもの、後半は結構そのまま、という体裁を取っています。
28章以降は碑文やエレファンティネ文書、死海文書、ラビ文献等、広い分野から取材しています。個人的にはこの28章以降を楽しく勉強しました。


Chapter 1-12 Ezra 4〜7章
Chapter 13-27 Daniel 2〜7章
Chapter 28 Inscriptions Bar Rakib, Uzziah, Ein Gedi Synagogue
Chapter 29 Elephantine and Bar Kochba letters
Chapter 30 Dead Sea Scroll Genesis Appocryphon
Chapter 31 Genesis Rabbah
Chapter 32 Pseudo Jonathan Genesis 22.

上記リストを見てお気づきの通り、時期的には帝国アラム語を中心に据えてますので、他のバリエーションを扱う際にはまた個別に勉強するべきでしょう。個人的にはマジックボウルの(バビロニア=後期東方方言)アラム語が渋いなと思ってます。一応文法書を手に入れて一通り読みましたが楽しそうです(実際のテキストはまだそこまで読んでません)。

2011年11月11日金曜日

クレズマーの文化史

日本に帰った時に本屋の音楽コーナーをブラブラしていたら、こんな面白そうな本が。

クレズマーの文化史: 東欧からアメリカに渡ったユダヤの音楽クレズマーの文化史: 東欧からアメリカに渡ったユダヤの音楽
黒田 晴之

人文書院 2011-06-17
売り上げランキング : 245718

Amazonで詳しく見る by G-Tools

目次は以下の通り。

序章 ベルリンで聴いたクレズマー・コンサート
第1章 あるピアニストの名前への覚え書き
第2章 「縫い目」と「胞子」で辿るクレズマー小史
第3章 シャガールの描いた楽士はどんな音楽を演奏したか(1)
第4章 シャガールの描いた楽士はどんな音楽を演奏したか(2)
第5章 第二次世界大戦中の上海で流れたクレズマー
第6章 「子牛」のまわりにいた人たち
第7章 ユダヤ人の笑いをクレズマーのなかに探る
終章 クレズマーが辿った長い旅路の果てに


著者のお名前は何度か拝見したことはありましたが、文章を読むのはこれが初めてです。
ここ一年弱ほど、ユダヤ人の音楽、特にセファラディー(スペイン系ユダヤ人)の音楽を愛好しているのですが、実はクレズマー・イディッシュ音楽にはまだまだ親しみがありません。Eitan Masuriなどのイスラエル産の再解釈したホラなどは大好きなのですが、自分にとっては未だ未知に等しい領域。昨日エルサレムのCDでダニエル・カーンのCDを一枚買いましたが。

Partisans & ParasitesPartisans & Parasites
Daniel Kahn The Painted Bird

Oriente Musik 2009-03-30
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools


閑話休題。

読後の感想としては、多少の予備知識は必要とされるかな、という感じです。元が論文なので当たり前ですが。個人的には非常に興味深く読みました。東欧アシュケナズィーの文化はまだまだ個人的に未開拓なのですが、この本のおかげでイディッシュ劇場等に興味が湧きました。

個人的に心に残ったのは二点。アーロン・ゼイトリンの「子牛」(ドナドナです)を巡る議論、及び「ウスクダラ」考です。

「子牛」に関しては、小岸昭『離散するユダヤ人』でも触れられていて興味を持ったのを記憶していますが、
離散するユダヤ人―イスラエルへの旅から (岩波新書)離散するユダヤ人―イスラエルへの旅から (岩波新書)
小岸 昭

岩波書店 1997-02-20
売り上げランキング : 365897

Amazonで詳しく見る by G-Tools
黒田氏の一章ではかなり詳しく議論されており、興味深く読みました。

「ウスクダラ」に関してですが、個人的にもこの曲を、追っかけてるっていう程ではないですが、注意して調べています。

というのは、私はこの曲が「ウスクダラ」として有名だということを知らず、まずは同じメロディーをアラビア語詞で知り、その後セファラディーの「伝統曲」として「再発見」し、その後ようやく江利チエミ「ウスクダラ」やトルコ民謡曲として、さらには本書で紹介されているBrandweinのクレズマーの「Der Terk in America」、あるいはアーサーキットの録音を「新発見」したからです。

黒田氏も本書の注で挙げられているように、ミュージックマガジン2008年4月号に高橋修がウスクダラのルーツを探る論考を掲載しており、「ウスクダラ」のメロディーは地中海のみの産物とばっかり思っていたので、これはこれで非常に面白いのですが、高橋氏も黒田氏もセファラディー・アラビア語詞の方には触れておらず、そちらから知った身としては不満が残ります。

今一般に知られてる詞はトルコを舞台にした「ウスクダラ」であり、トルコ産のものだと思われますが、セファラディーのもの(「Fel Sharah」で始まるのでそう名付けられることが多いような気がします)はアラビア語・フランス語・イタリア語・スペイン語・英語のミックス、アラビア語詞の方(「Ya Atholey」で始まる)はアラビア語のみで、特にトルコのユシュクダルでどうしたという話ではありません。

私はクレズマーのレパートリーにも入ってたというのが驚きでしたが、これをきっかけに、この歌を叩き台にして、東欧・アメリカだけではなく、広く地中海(≒オスマン領)を含めた、各文化の交渉史について想いを馳せるのもいいかも知れませんね。ちなみにセファラディーの方はGerard EderyとGeorge Mgrdichianによる録音が好きで、アラビア語の方は僕の好きなイラク人アーティスト、Ilham al-Madfaiのベイルートライブの録音が好きです。

MorenaMorena
Gerard Edery

Sefared Records 1999-07-20
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools
(Gerard EderyとGeorge Mgrdichianのが出てこなかったのでこちらで代用。Fel Sharahの別録音が収録されてます)

Live at Hard Rock CafeLive at Hard Rock Cafe
Ilham Al Madfai

EMI Arabia 2001-01-07
売り上げランキング : 1118869

Amazonで詳しく見る by G-Tools



なお、本書の末尾にはクレズマーのディスクガイドがありますので是非活用して下さい。特に第七章なんかはミッキー・カッツの実際の録音を聞きながら読んだりしたら楽しそうです。
(ちなみにカッツはイディッシュ(ドイツ)語で「ネコ」。ミッキーマウスではなくて、ですね)

Greatest ShticksGreatest Shticks
Mickey Katz

Koch Records 2000-05-09
売り上げランキング : 661064

Amazonで詳しく見る by G-Tools

2011年11月1日火曜日

絶対貧困

数日前にエルサレムに戻ってきました。
私だけかも知れませんが、どうしてフライトの前、空港の本屋に寄ると妙に本を買いたくなるんでしょうね。

今回購入したのはこちら。

絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)
石井 光太

新潮社 2011-06-26
売り上げランキング : 7628

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

前々から気になっていたのですが、ハードカバーが最近文庫化されたようなので購入。
著者の本は他にも気になってますが、こちらが書店に並んでいたので購入。

「貧困学」というのは著者の造語ですが、言わんとすることは以下の通り。

「通常、大学などで途上国の貧困を研究したいと思った時、国際関係学の一分野である国際開発論を勉強することになります。あるいは、国際経済学だとか、国際社会学といった領域からその道に入る方もいらっしゃるでしょう。これらの研究は貧困地域の様々な問題を見直し、どうすれば発展していけるかを考えるものです。(中略)…国際開発論のように最大公約数としての統計をだし、問題解決の緒をつかむことは重要です。ただ、それに加えて、現地で生きる人々の目線で個々が生活の中で抱えている小さな問題をまとめる研究分野があってもいいと思うのです。どちらか一方からだけではなく、双方の視点から考えることができれば、より広くて深い所から、貧困問題というものを浮き彫りにすることができますし、そこで生きる人々の利益にもつながると思うのです。そして私は後者に当たる部分を、新たに『貧困学』と呼んでいるのです。」(317−319項)

著者はフィールドの人らしく、様々な地域(アジア、イスラーム圏、アフリカ)のスラムに足を運び、共に寝起きし、その実態を観察しています。その具体的なケースの紹介が非常に興味深く、面白く、また考えさせられます。

アジアをフラフラ旅行していると、どうしても貧困層が目につきますが、その中で生まれる疑問、例えば物乞い「業」の構造(物乞いで得られる収入が上部組織に吸い取られる)であるとか、何故貧困状態にあるのに太った人が存在するのか、あるいは普段どのような生活をしているのか、何を考えているのか、といったものにこの本はある程度まで答えを与えてくれると思います。

例えばスラムの人たちは低予算高カロリーな「貧困フード」(例えばフライドチキン!)という、ある程度共通したものを食べていますが、野菜は低予算ですが低カロリーのため十分に摂ることができないことが多く、必要なビタミンはサプリメントで補充しているとのこと。スラムでは失業状態が常態である場合も多いので、高カロリーのものを食べ続け、さらに運動量も決して多くないため肥満になるとのこと。(44−46項)

また、出生届等も出していない(法的にも婚姻していないことが多い)上、地域によっては路上生活者に誕生日を祝う習慣がない=自分の正確な年齢が分からないため、ある程度の年齢以上になると適当にキリのいい年齢を自己申告するため、人口ピラミッドで5の倍数の年齢人口が格段に多くなる(例としてインドネシアが挙げられている、137−138項)というのも面白いですね。

「医療」や「生死」について考えさせられるのは、本書で述べられているインドの(伝統的・「呪術的」)薬売りのエピソード。マドゥという物乞いの老婆の体調が悪くなり、手術をする必要があると医者に告げられた(診察は無料)が、当然その費用を払う余裕はなく、孫とともに路上に横たわって死を待つことに。噂を聞きつけた伝統薬売りが来て、「金が払えないから帰ってくれ」というマドゥに対して、「金はいらないから、もし治ったら適当にご飯でも奢ってくれ」という薬売り。毎日毎日マドゥの元を訪れ、薬を与え、力づけるも努力むなしく、誰の目にも彼女の命は今夜限りだろうということが明らかに。薬売りはその時から彼女の臨終までずっと手を握り締め、最後まで死を見届けた。最初から一部始終を見ていた著者は薬売りに問いかける。どうしてマドゥの治療をしたのか。彼は答える。「わしが薬売りだからだよ。薬売りというのは病気の人を助けるために存在しているんだ。もし治せないなら、手を握り励ますことで心を支えてあげればいい」(144−147項)

アジアなんかでよく見る「花売り」(本書では物売り / 物乞い型と記載)の連携プレーも面白かったです。売春婦とともに歩いていると売春婦が「花を買って」とねだることがあるらしいのですが、例えば客(花の買い手)が60円払うとすると、その60円は一体どこにいくのでしょうか。なんと最終的には花売り(子どもが多い)、売春婦、花束の作り手(おばちゃんが多い)三者に平等に20円ずつ入る仕組みになっているとのこと。そのカラクリは以下の通り。まずおばちゃんが花束をつくって、近くの花売りの子どもに30円で渡す。子どもは客に60円で売る(売春婦がそのような値段で買うように仕向ける)。子どもは売春婦のお姉ちゃんに60円で買ってくれるよう仕向けたお礼に手数料として10円渡す(子ども20円の儲け確定)。その後に、売春婦が「プレゼントしてもらった」花束を引きとって、作り主のおばちゃんに10円で売る(おばちゃん、売春婦20円の儲け確定)。よくできた連携プレイで、何一つ無駄な人物・行動がありません。(163−165項)

他にもレンタルチャイルドや物乞いビジネスのヒエラルキー、稼ぎの例等、興味深い事例は沢山あるのですが、著者の他の本を読んでみたいと思います。



アジアを旅行することが比較的多かったので、私も所謂「スラム」という場所には何回か遊びに行ったり、物乞いと接したことがあります。その中でも特に印象深いのは二つ。一つはインド、一つはカンボジアです。

数年前にインドのバラナシの鉄道駅で電車を待っていた時のこと、両足のない子どもが物乞いにやってきました。その時バナナを持っていて、買ったはいいものの量が結構多かったので食べきれず持て余していたので、残り数本全部その子にあげました。物乞い時は「ビジネスフェイス」をしていたその子も予想外の収穫だったのか、破顔一笑、気持よくお礼を言ってきました。
その数分後、今度は両足のない別の子が物乞いに。体格が少し小さいので、どうやら弟のようです。ついさっきバナナも全部あげたし、小銭もないし、ということを伝えるけどなかなか食い下がらない。すったもんだしているところに、さっきバナナをあげたお兄さん(?)がやってきて、弟(?)を厳しく叱りつけました。弟は納得したようで別のところにいったのですが、お兄さんがこちらを見て一言「ごめんね」とはにかみました。
どうやら同じ人から何度も取らない(少なくともそのグループからは)という了解があるらしく、妙に感心してしまいました。相変わらず電車が来ないので(インドなので)ボーッとしていると、さっきの兄弟ともう一人男の子が駅の片隅に集まってさっきあげたバナナを分けあっています。その時「人は一人にて生くるにあらず」というのが分かった気がしますし、「社会」というものの存在を実感した気がしました。


カンボジアの首都プノンペンには大きなスラムがそれこそ旅行者の目にもつきやすいところに沢山あるのですが、面白かったのは使われてない電車を占拠して出来たスラム。電車の中で暮らしてるわけですね。そこに遊びに行ってみたのですが、挨拶してみるとすごく友好的で電車の中に入れてくれて、中を見せてくれました。内戦中に村から逃げ出してきて以来居着いたとのこと。子どもが帰ってきて、どういうわけかケーキを持ってて、一緒にご馳走になったので、翌日お礼に果物を結構たくさん買って持っていったら物凄い喜びようでした。お礼に携帯電話をプレゼントされかけたので、さすがにそれをもらったら先方に不都合が生じるんじゃないかと思い、記念に写真を撮らせてもらうだけに留めました。

プノンペンは他にも川沿いのスラム(ここは治安いい)に遊びに行ったり、スモーキーマウンテン(新旧あります)に行ったりしました。