2011年12月31日土曜日

The Ladino Novel


Alpert, Michael, 2010. 'The Ladino Novel', European Judaism 43(2), pp. 52-62.

前回紹介した論文と同じ号の論文ですが、European Judaismのこの号はセファラディー文学(口承ではない)特集です。コンパクトに各方面の論文がまとまってて、しかも2010年出版なので 各分野の研究動向が分かって助かります。

さて、メジャーではないですがユダヤ・スペイン語にも所謂「小説」があります。
数はそんなに多くないですが、100年くらい前の初版本とかは今でも時々出回ってます(ページ数の割に値段が張るので私は買いませんが)。
ユダヤ・スペイン語圏にこの「小説」が出現し消滅するのは、大体20世紀前半、特に青年トルコ革命が起きた1908年から20年代終にかけて。アリアンス等がオスマン領内に入ってきて近代との出会いを果たしてから少し間があるのは、新聞出版と連動してること、そして1902年まで「窃盗・殺人・愛」(p. 56)というテーマを含む出版物(ユダヤ・スペイン語の小説はこれらのテーマを扱うことが多い)を、オスマン側が検閲によって禁止したからのようです。

この論文では有名な小説家として二人、Elia Karmona(1869イスタンブル生、1932年同地にて逝去)とAlexandre Ben-Ghiat(1869年頃?生、1923年イズミルにて逝去)を挙げています。この二人はかろうじて私も名前は知っています。
二人とも出版業を兼任してることから分かるように、この時代新聞と小説は不可分でした。新聞の売上(購読)を増やすために連載小説を載せるというのはいつの時代でも常套手段ですね。

Elia Karmonaは有力家系の生まれ、幼少児にはユダヤ教教育を受け、11歳からは4年間アリアンスの学校に通います。その後フランス語の家庭教師をしますが家計が苦しくなり父が社会的に没落、それに伴って彼も家庭教師の職を失い、自身路上でマッチ売りをするまでに落ち込みます。幸いにしてその後El Tyempo紙の編集の職を得ますが、給料が十分でないという理由からサロニカ、イズミル、カイロにまで一人旅に出ます。しかしながらあまりうまくいかなかったようで、結局El Tyempoの編集者として1908年まで務めます。小説自体は1899年から書いており、彼の手による作品は50を数えるとのこと(p. 56)。
彼の名前が有名なのは(そして私が知ってる理由は)、1908年より彼がEl Djugueton紙をほぼ週刊で1932年まで発行したことによります。El Djugetonの記事はいくつか読んだことがありますが、なかなかに面白いです。また紹介できればと思います。

Alexandre Ben-GhiatはEl meseret紙を出版したことで名高いですが、それよりも彼の作品によって有名なのでしょうか。彼の小説作品は1ダースほどですが、その中でもLa Mujer Honestaが有名です。この作品は近代西欧で見られたような「自立した女性」を描いたもののようです(p. 58)。

さて、「Ladino Novel」をどう評価すべきか、という段になり筆者は、例えばイディッシュ文学と比較してしまうとどうしてもイマイチ、と結論します(p. 59)。現実社会とその問題に肉薄するようなことも、読者の知性に揺さぶりをかけるようなことも残念ながらあまりなく、さらにセファラディーの近代人はアシュケナズィーと違いユダヤ教の素養も薄く、またアシュケナズィーがドイツ語・ロシア語圏へ容易にアクセスできるのに大して、セファラディーは近代西欧へのアクセスとしてフランス語でしかできなかった、という点も問題として指摘しています(p. 59)。

少しばかり寂しい結論ですが、それでも物珍しさも加わって一時の間かなりの数(250~500)の作品(オリジナル・翻訳・折衷)の作品が出回ったようで、数は少ないですが英語への翻訳もあるようです。
Michael Alpert, The Chaste Wife, Nottinfham: Five Leaves

2011年12月30日金曜日

The History of the Me'am Lo'ez

Meyhuas Ginio, Alisa, 2010. 'The History of The Me'am Lo'ez: a Ladino commentary on the Bible', European Judaism 43(2), pp. 117-125.

これからは読んだ論文もちょこちょこまとめていこうと思います。
日本では(でも)全く知られていませんが、複数の著者による、「Me'am Lo'ez メ・アム・ロエズ」(書名は詩篇114篇1節に取材)という非常に重要なセファラディーの文学作品があります。この作品は聖書の一節一節(実際はパラシャー毎にまとめられている)に沿った「エンサイクロペディア」とも呼ばれる作品で、古今のアガダー・ハラハーのみならず、天文学や民話にまでも取材し、それぞれの作者自身の言も含まれます。
論文の構成とは前後しますが、まずは基本的な成立・出版状況について(pp. 122-124)。Elena RomeroによるとMe'am Lo'ezの歴史は三段階、古典期・過渡期・新期に分かれるとのこと。

古典期。ラビ・ヤアコーヴ・フーリー(Rabbi Ya'akov Khuli)1689年エルサレム生まれ、1732年イスタンブル没)主導のもと行われましたが、1730年に創世記を出版し、続いて出エジプトの途中まで出版した後に病に倒れ、その後その仕事は 数世代に亘って受け継がれます。エディルネのラビでダヤンであったラビ・イツハク・マグリッソ(Rabbi Yitzhak Magrisso)は1733年に出エジプトの続きを完成させ、レビ記と民数記をそれぞれ1753年、1764年に完成させます。その後エルサレムのラビ・イツハク・シュマリア・アルグエテが申命記を部分的に完成させ、1773年にイスタンブルで出版。
五書についてのMe'am Lo'ezは以上創世記2冊、出エジプト記2冊、レビ記・民数記・申命記各一冊の計7冊になります。

過渡期。その後19世紀に入り五書だけでなく、預言書・諸書に関しても部分的に仕事がなされるようになります。通常五書以外のMe'am Lo'ezは「質が落ちる」と語られますが、その辺はどう違うのか、二次資料を当たり始めた現時点の自分にはよくわかりません。
ヨシュアについて記したのはエディルネのラビ・ラハミーム・メナヘム・ミトラニ。彼は1844年に作業を始め、一巻の初版をサロニカにて1851年に出版(二版は1867年同地)、その後作業途中の原稿を1862年の火事で消失、露土戦争の戦果を避けて1866年にエルサレムに移住するなどかなり苦労したようですが(p.123)、最終的に1867年彼が死去した後、作業を手伝っていた息子が完成させ1870年にイズミルで出版します。また、エステルについてはあんまり触れられていませんが、イズミルのダヤン、ラビ・ラファエル・ハイイム・フォントリモリ(Rabbi Rafael Chaim Fontrimoli)によって出版されています。この論文では出版年が抜けていますが、おそらく1864年が初版でしょう。

新期。過渡期と新期を分けるのは近代と西欧啓蒙の影響が見られるか否かという点のようです。個人的には過渡期の年代も、1839年のタンズィマート後なので怪しいような気もしますが、今後の課題です。なんにせよラファエル・ベンヴェニステがルツを記し1882年にサロニカで出版、イツハク・イェフダー・アバがイザヤについて記したのが1892年サロニカにて。コヘレトは少し変わっていて、2バージョンあります。シュロモー・ハ・コヘンが「ヘシェク・シュロモー」と名付けたものは1893年エルサレムで出版。ニスィム・モシェ・アブドゥが「オツァル・ホフマー」と名付けたものがイスタンブルにて1898年出版。どうも後者の方が前者よりも包括的だとか(p. 123)。ただ、この論文ではヘシェク・シュロモーもMe'am Lo'ezに含めていますが、Rabbi Aryeh Kaplanなんかは含めていないようです。最後は雅歌で、ハイイム・イツハク・シャキー(この人個人的にずっと気になってます)の手によって1899年イスタンブルで出版。

以上が伝統的なMe'am Lo'ezの歴史です。ヘブライ語や英語訳が聖書全体にわたってあるため、もともとユダヤ・スペイン語であると思いがちですが、実はそんなことありません。というのはMe'am Lo'ez(Yalkut Me'am Lo'ez)のヘブライ語への訳者であるラビ・シュムエル・イェルシャルミー・クロイツァー(Rabbi Shemuel Yerushalmi Kreuzer)がMe'am Lo'ezのプロジェクトの理念を引き継ぎ、ユダヤ・スペイン語で記されてない聖書の他の書物全てに、今度はヘブライ語で記したのでした(p. 124)。


さて、Me'am Lo'ezの画期的だった点はなんといっても「万人が理解できるユダヤスペイン語で、万人(’para el hamon ha'am’, Me'am Lo'ez: p.7)に対して、包括的にラビユダヤ教の伝統的知識・観点を提示した」という点にあります(p. 119)。
それまでのセファルディー社会では重要な著作はほとんどヘブライ語で書かれ(ヨセフ・カロのシュルハン・アルーフを思い出されるとよいと思います)、それに関するユダヤスペイン語訳はあったものの、次第に大多数のセファルディーたちは経済的後退とともに文化的後退も余儀なくされ、ヘブライ語書物へのアクセスができなくなっていきます。フーリーの時代には彼自身がMe'am Lo'ezの序文(ヘブライ語とユダヤスペイン語がある)で述べているように、子々孫々受け継がれてきた書物は各家庭にあるものの、ヘブライ語にアクセスできないために埃まみれになってる、家に帰っても読める本がない、毎週土曜の礼拝でも自分が何を言ってるのか分からない等々、という看過できない状況だったようです。フーリーの上記記述は聖なる言語ヘブライ語でなく俗語・ユダヤスペイン語で著作・翻訳をする正当性を他のラビ達に納得させるという意図もあったかと思いますが、結果としてMe'am Lo'ezは爆発的に普及したようです。「他の本はなくともMe'am Lo'ezだけは持ってる」というような家庭も多かったとのこと(この手の話は至るところにでてくる)。
Me'am Lo'ezはユダヤスペイン語、その当時のセファラディーの万人が理解できる言語で書かれていたため、今までユダヤ教の伝統的知識の享受者でなかった女性に対して大きな役割を果たし、たとえ文盲であったとしても読み上げられるのを聴くことで、女性のユダヤ教理解に多大な貢献を果たしたとのことです(p. 120)。この観点に関しては著者が別の論文で書いているようなので、また紹介できればと思います。


最新の論文の割には特に新知見があるとか、結論が用意されているというのではなかったですが、Me'am Lo'ezの持つ重要性がコンパクトに述べられて有用だと思いました。

2011年12月25日日曜日

リトアニアのエルサレム

西暦の今年末に、次の本が出版されます。
余計なお世話でしょうけど、イスラエルやイスラーム諸国じゃあるまいし、何もキリスト教歴のこんなド年末に出さなくてもいいと思うのですが…。

Jerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural HistoryJerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural History
Jerold C. Frakes

Ohio State Univ Pr (Trd) 2011-12-30
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概略は以下の通り。

Yerusholayim d'lite: di yidishe kultur in der lite (Jerusalem of Lithuania: A Reader in Yiddish Cultural History) by Jerold C. Frakes contains cultural, literary, and historical readings in Yiddish that vividly chronicle the central role Vilnius (Lithuania) played in Jewish culture throughout the past five centuries. It includes many examples of Yiddish literature, historiography, sociology, and linguistics written by and about Litvaks and includes work by prominent Yiddish poets, novelists, raconteurs, journalists, and scholars. In addition, Frakes has supplemented the primary texts with many short essays that contextualize Yiddish cultural figures, movements, and historical events. Designed especially for intermediate and advanced readers of Yiddish (from the second-year of instruction), each text is individually glossed, including not only English definitions, but also basic grammatical information that will enable intermediate readers to progress to an advanced reading ability. Because of its unique content, Yerusholayim d'lite will be of interest not only to university students of Yiddish language, literature, and culture, but it will be an invaluable resource for scholars and Yiddish reading groups and clubs worldwide, as well as for all general readers interested in Yiddish-language culture.


以上の説明から分かるように、基本的には中級者、文法をある程度終わった人向けのようですが、とても興味があります。
私の力では今はまだ手も足も出ませんが、来年中には読めるようになる…といいな、と思っています。
ちなみにイディッシュ学において、方言や生活習慣といったものに基づいたサブグループは、基本的にリトアニア・ポーランド・ガリシアに三分類されるようですが、この場合の「リトアニア」とは歴史的リトアニアのいかなる領土とも一致するわけではありません。従って上の「Litvak」はヴィルナ周辺のアシュケナズィーのみならず、ミンスクあたりまでも含むことになります。イディッシュのリトアニア・ポーランド方言の境目はゲフィルテフィッシュの味つけ等とも一致するというのが面白いですね。

なお、著者は以下のような同じく興味深い本も出版しています。こういう本は、興味はあるんだけどそこまで専門じゃないし…という人が手に取りやすくてすごく助かりますね。

Early Yiddish Texts 1100-1750Early Yiddish Texts 1100-1750
Jerold C. Frakes

Oxford Univ Pr on Demand 2005-02-17
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ちなみに「リトアニアのエルサレム」とは上にも書いてますが、ミトナグディームの代表である「ヴィルナのガオン」ことRabbi Eliya Shlomo Zalmanで有名なヴィルナ、ヴィリニュスのことです。ところで「〜のエルサレム」って多いですね。どれだけあるんでしょうか。バルカンのエルサレムとかエチオピアのエルサレムとかは聞いたことあります。

ヴィリニュスは去年の秋に、本物のエルサレムから旅行で少し訪れました。
リトアニアを歴史的なユダヤ教の中心地として紹介する日本人のブログ等はまだまだ少ないでしょうから、機会があればまた写真等で紹介できればと思います。

2011年12月23日金曜日

ラビとの懇談

昨日はこちらにお住まいのアメリカ系ラビさんに、ハラハー(ユダヤ教宗教法規)講読の前の導入として、(現代)ユダヤ教の基本を講義してもらいました。ご本人はもう70を超えておられるのですが、矍鑠(かくしゃく)としており、説明・ポイントが明確で分かりやすい講義でした。

ラビさんが仰られたことは、宗教としてのユダヤ教のコアの部分。究極的には入門書等に「書いてある」ことなんですが、こういうコアの部分というのは、人生を賭したその実践者が、自分の面前で、自分(達)に向かって口伝してもらうことによって、初めて自分の血となり肉となるものだと思っています。勿論もうこの世には存在しない人間からも学ぶことは出来ますが、やはり口伝してもらった方が、凡人としては体に残ります。


ラビさんのお話では、聴衆が日本人で必ずしもユダヤ教を専門に勉強してきたわけではない人をも対象にしているためか、基本的な、宗教としてのユダヤ教を説明して下さいました。以下は自分なりに理解したところのもので、ラビさん本人の言や考えとは必ずしも一致していないかも知れませんが、どうぞご海容ください。



まずは「宗教」と「哲学」の違い。両概念、特に前者については個々の宗教学者の議論などに深入りすると永遠に終わらなくなりそうなので置いておきますが、ラビさんの理解によると、宗教とは信仰体系と行動(規範)体系を合わせたもの。哲学とは創造主を認めず、世界のみを考察し、思惟の対象とするもの。
哲学と宗教の違いについて、そして宗教と信仰・行動の関係を説明するものとして、ここがユダヤ教ぽいのですが、創世記の1章と2章を引き合いに出して説明して下さいました。

文献学としての近代聖書学の出発点の一つでもあるので有名な話ですが、創世記1章と2章では「神」を指示する語が違います。創世記1章では神はאלוהים(エロヒーム、なおヘブライ語表記はクティーブ・マレー)によって指示されますが、他方2章では突如יהוה(「みだりに神の名を唱えない」ため伝統的にアドナイと発音します)、正確にはיהוה אלוהיםとして指示されます。

そのことを踏まえた上で、まずラビさんはאלוהיםがヘブライ語形態論としては複数形になっていることに注目し、これを「神の諸力」と解釈します。
(なおこの解釈がどこに由来するかは不勉強なため知りませんが、イスラームにおける99の神名أسماء الله الحسنى‎を連想させ、なんとなく中世の頃かな、と愚考しますが知ってる方がおられたらご教示下さい。)
そしてこの「神の諸力」により宇宙・この世・世界・自然が創造されたとされます。創世記一章のポイントである、「創造主」と「世界」、この両者を分離し、信仰やそれによる行動を伴わなず、「世界」を考察・思惟対象にするのがすなわち「哲学」であり、他方この「創造主」と「世界」を結びつけるのが「宗教」である、と。

そして第二章に至って「創造者」としての神、即ちאלוהיםという呼称だけでなく、その前に「יהוה」がつきます。アドナイאדונייというのはヘブライ語で「我らの主」という意味。ここに至り、創造主אלוהיםとしての神だけでなく、被造物である人間の造物主、信仰対象אדונייとしての神、という告白であるという解釈が成し得ます。この創世記第二章の「神」の呼称の変化をラビさんは「信仰」の開始であると解釈します。つまり第一章では「創造主(の諸力)」と「世界」を結びつけ「宗教」となり、二章でその「創造主」を「我らが主、創造主」と呼称が変更され、「信仰」が発露し、告白される、そしてその「信仰」とは「創造主」の「言葉」を前提し、その「創造主の言葉」が「行動規範」を定めている、とのこと。



他にも様々なことを話して頂きましたが、もう一点、私がした質問「ユダヤ教における祈りの目的とはなにか」という回答をご紹介します。

まず「祈り」תפילהの語根であるפללはラビさんによると本来「話す」の意とのこと。これに基づいて祈りとは即ち「神と語る」ことである、と。そしてその祈りの内実は三つに大別され、「PAT」と覚えると良い、と教えてくれました。PATとは即ち to praise, to ask, and to thank。

また先の議論にも関係しますが、伝統的にはシェマアの祈り、すなわち申命記6章4〜9節のうちの「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(5節、新共同訳)の「בכל לבבך ובכל נפשך ובכל מאודך(心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし)」というのは伝統的なユダヤ教の解釈では、「mind, feeling, behavior」を尽くし祈れ、即ちここでも「祈り」は単なる「信仰」の領域に留まらず、「行動」、実践にも結びついているとのこと。



キリスト教については多少は皆知ってるだろうという思いがあるのか、終始この「行動(規範)」ということに強調が置かれたお話でした。
おまけとして、「ラビとはそもそも何か」という自己紹介の話で、「菩薩のようなものです」と仰ってたのが印象的でした。