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2012年4月26日木曜日

ご無沙汰してます

こんにちは。
気づけば3ヶ月もこちらのブログをほっぽらかしにしてました。
特に何かあったというわけでもなく、更新しないうちになんとなく3ヶ月が過ぎてしまいました。
ここでは「アウトプットの場を創出する」というのが目的なのですが、面倒くさがるとすぐ止まっちゃいますね。というわけで再開します。
この3ヶ月の出来事を書いていくと、

・ウルパンが終わった
・休みはだらけた
・国内とヨルダン(アカバ・ペトラ)を少し旅行した
・ウードを始めた
・祭りがあった
・後期が始まった
・少し一時帰国した

これくらいでしょうか。
色々書きたいことは溜まってるのですが、まずは再始動するぞという決意から。
形から入る主義なのでデザインを変更。

2012年1月17日火曜日

フリースラント恐るべし

今日面白い話を聞きました。

イディッシュ語の先生が仕事でオランダに行った時の話なのですが、フリースラント(Fryslân)に行って郊外のSneekという街に行った折、中学・高校に当たる中等教育機関に見学に行きました。そこでゲルマ二ストの先生と話が盛り上がり、折角だから、ということで学校の見学をさせてもらうことになりました。通された教室(10年生)は近代的なもので、黒板などという前時代的なものはなく、スクリーンがかけられるのみ、ペンやノートなどという遺物はどこにも見られず、生徒一人ひとりにパソコンが与えられていたことにまずびっくりしました。

そして、これはオランダの事情みたいなのですが、科目ごとに先生が使う言語(オランダ語・フリジア語Frysk・英語)を決めるそうです。化学は英語、歴史はフリジア語、文学はオランダ語…と言った風に。これにも驚いた。
その後そんなことも全部吹っ飛ぶほど驚いたのは、そのゲルマニストの先生の質問に対する生徒の反応。イディッシュの先生がそこにおられたので、次の質問がされました。

「イディッシュ語って知っていますか?それは何?」

その瞬間「その教室のほぼ全員の生徒」が挙手をし、なんと当てられた生徒がスラスラと

「イディッシュ語は西ゲルマン語系に属する言語で中高ドイツ語に淵源し…」

と答え始めたというのです。「知ってる〜、ユダヤ人の言葉でしょ~」くらいの答えを予想していたので、話を聞いてた私もぶったまげました。
さらにゲルマニストの先生が続けて、

「よろしい。ではイディッシュ文学について何か知っていることを教えてください。」

と質問すると、数人の生徒が挙手し、ある女生徒が答えて曰く、

「少し記憶が曖昧で自信がないのですが、アイザック・バシェヴィス・シンガーはイディッシュで著作をものしたように記憶しております」

と答え、ここまできたら隅で聞いていたイディッシュの先生、驚くというよりも、もう恥ずかしくていたたまれなくなったそうです。

果たしてフリジア語に関して同様の質問をされた時、この子達程に答えられるだろうか?
イスラエルで同じ質問を同じ歳の子にして、果たしてどれだけの子がきちんと答えられるのだろうか?

この話を聞いていたイスラエル人も「フリジア語ってなに?」というレベルだったので、ショックだったみたいです。
これを奇貨とし、皆少数言語に関し関心を持って学んでいければいいですね。僕もヨーロッパの言語に関しては穴が多いので、これを機にまたゲルマン諸語も勉強してみたいと思います。

クルアーンの「十の戒め」その後


前回のエントリーに関してですが、17章よりも6章151-153節ではないのだろうか、と某教授が教示されているのを知りました。
私自身も他にないかと探してたのですが、確かにここの方が「列挙」という表現には合いそうです。

言え、「来るがよい。おまえたちの主がおまえたちに禁じ給うたものを私が読み聞かせよう。おまえたちは彼になにものをも並び置いてはならない。そして、両親には善行を。また、困窮からおまえたちの子供を殺してはならない。われらがおまえたちと彼らを養う。また、現れたものにしろ隠れたものにしろ不道徳に近づいてはならない。また、アッラーが禁じ給うた命を正当な理由なしに殺してはならない。これが彼がおまえたちに命じ給うたものである。きっとおまえたちは考えるであろうと」。(Q6:151、日本語訳は中田香織訳、中田考監訳『タフスィール・アル=ジャラーライン』第一巻、日本サウディアラビア協会、2002年より。363−364項。)
孤児の財産には、彼が成人に達するまで、より良いことをもってのほか、近づいてはならない。升目と秤は公正に量りきれ。我らは誰にもその能力以外のものを課すことはない。また、おまえたちが言う時にはそれが近親の者であっても公正にせよ。また、アッラーとの約束は果たせ。これが彼が命じ給うたことである。きっとおまえたちは教訓を得るであろうと。(152)
これがわれの真っすぐな道である。それゆえ、それに従え。諸々の道に従ってはならない。それらはおまえたちを彼の道から離れさせる。これが彼がおまえたちに命じ給うたことである。きっとおまえたちは畏れ身を守るであろう。(153)

確かにこの箇所の「要約」ですと、件の問題のような「十の『戒め』」として抽出できるかも知れません。というわけで、一つ前のエントリーで「改竄」と言いましたが、この箇所を元にしているのであれば「改竄」とまでは言えません。訂正致します。
勿論これは「クルアーンのこの箇所の要約としては的確」、という意味以上のものではなくて、他ならぬこの三節を抜き出して、特別に「十の戒め」と呼ぶのは極めて恣意的であり、少なくともイスラームの伝統に則ったものではないと思います。

これも別の研究者の方の指摘なのですが、有名なبني الإسلامで始まるハディースには六信五行の「خمس五」という数字がはっきり出ているのですが、このように数が示され、そのことにコンセンサスがあるのはイスラームでは稀だそうです。個人的な印象といて、イスラームの学者の各々の著作(セファラディーも同じようなメンタリティだと聞きますが、まだなんとも言えません)は極めて整然と整理され、「~は大きく二つに大別される。」「~には三種のものがある。」という風に書いている文章が多いような気がしますが、言われてみれば確かにそうかなあ、と思わされます。

なお、「十戒」ではないですが、シーア派のハディースでبني الإسلامに似たものがあるそうなのですが(内容ちょっと違う)、この場合礼拝、断食、巡礼、浄財、ولايةイマームの権利の承認、の「五行」とはならず、これにプラス5(とولايةの変更)の項目を立てて、謂わば計「十行」、即ち「礼拝断食巡礼浄財、ジハード、5分の1税、善の命令、悪の禁止、تولى آهل البيت「家の人びと」への忠誠、تبرآ(前のものに敵対する人びととの)絶縁、とするのが通説とのこと(12イマーム派以外も?)。私はシーア派はあんまり良く分からないのですが面白いですね。なおこの場合も件の問題文は「クルアーンには…」とあり、ここではハディースの話をしているのでこれが「十の戒め」とはなりません。念のため。

さて相変わらずこれの出処が気になっているのですが、嫌味でもなんでもなく、日本語でも良いのでもし本かなんかで見つけたのであれば、その出典を知りたいのです。あんまり類書がないので。というのは、これ、もろ「イスラーイーリーヤート」だからです。古典で出典があればいいのですが、現代の学者が書いた本にはまだ今のところ見つけられていません。

2012年1月7日土曜日

最近買った本

最近、ニューヨーク(ブルックリン)とテルアビブの古書店から買った本です。
セファラディー文学の研究なぞ、そもそもセファラディーの専門家が一人もいない日本では勿論皆無なので、日本国内の図書館に頼ることはほぼ出来ません。特に校訂版とかもあるわけではないので、実際のテキストを読もうとすると、図書館や研究所のアーカイブに頼ることになります。が、やっぱり人情として出来ることなら手元に置いておきたいですよね。

そんな中でいい古書店に出会ってしまい、思わず古書を中心に本を大量に買ってしまいました…。19世紀後半〜20世紀前半の本はそこそこ手が届く値段で買えてしまうので、むしろ危ないですね…。これ以外にも興味深い本はいっぱいあります。
思えば今年度はほとんど欲しい本を買っていなかったのと、この機会を逃すと当分手に入らなさそうな本もいっぱいあったので、ここにきて一気に噴出してしまった感じです。
ただ、今回の買い物で、二次資料だけでなく、数はそんなにないですがおそらく一次資料の所蔵量も日本一になったのではと思います。
ユダヤアラビア語・ユダヤペルシャ語・イディッシュは将来のためにちょこちょこ買ってみました。
なお、現物はまだ見てないので細部は適当なのでご容赦を。

La Istoria Judaica Universal 1922, Istanbul
La Istoria Judaica Universal 1925, Istanbul
Hesheq Shlomo (Me'am Lo'ez) 1893, Jerusalem
ユダヤスペイン語訳聖書 1873, Constantinople
Shemot (Me'am Lo'ez) 2 vols. 1884, Jerusalem
Bereshit (Me'am Lo'ez) 1897, Salonika
Bereshit (Me'am Lo'ez) 1864, Izmir
Otsar Hokhma (Me'am Lo'ez) 1898, Constantinople
Haggadah (Reprint, in Judeo Spanish) 1825, Livorno
Vehochiach AVRAHAM PALAGI 1877, Izmir
Rosh Ha Shanah Machzor (in Judeo Spanish) 1923, Vilna
Isaiah (Me'am Lo'ez) 1892, Salonica
Former Prophets (Me'am Lo'ez?) 1890, Izmir
諸書(Judeo Persian) 1907, London
Avot (Judeo Arabic) 1920, Tunis
Sephardic Fast Prayers with Judeo Spanish and Judeo Arabic
Petah Eliyahu (Judeo Arabic) 1944, Djerba
Samaritan Pentateuch 1966, Israel
Ze'ena u-Re'ena (Yiddish) 1860, Vilna
Avraham Yehuda, Erev va Arab 1946, ?
Klara Perahya et Elie Perahya, Dictionnaire francais - judeo - espagnol
Philip Birnbaum, The Arabic Commentary of Yefet Ben 'Ali The Karaite on the Book of Hosea, 1942, The Dropsie College for Hebrew and Cognate Learning
Joseph Naveh, Shaul Shaked, Amulets and Magic Bowls: Aramaic Incantations of Late Antiquity, 1997, Israel: Magnes Press
David M. Bunis, Lexicon of the Hebrew and Aramaic Elements in Modern Judezmo, 1993, Jerusalem
Joshua Blau, Judaeo-Arabic Literature: Selected Texts, 1980, Jerusalem: Magnes Press

なお、Me'am Lo'ezのエステル(1864年Izmir初版)もテルアビブの本屋さんに注文したんですが、「ごめん、悪いけどちょっと見当たらんわ」という返事がきて、「代わりにこれいる?実際はもうちょい高い値段なんだけどお詫びに…」と提示されたのが1885年エルサレム刊のユダヤアラビア語訳コヘレト。渋い…。
迷いましたが返金してもらいました。

なお、1920年神戸(!)刊のヘブライ語・ロシア語併記祈祷書が欲しい人がいればお知らせください。「日本人でこれ欲しい人いないかな〜」と探してるみたいです。
今回のやり取りでこれからも贔屓にしてもらえるとありがたいですね。メールで色々と興味深い話をして仲良くなりました。

この一週間ほどは授業に追われて疲れました。

2011年12月11日日曜日

風邪

こういうことは滅多にないんですが、今月頭くらいに風邪を引いてしまったらしく、実に一週間以上も寝こんでおりました。
悪寒と発熱で日常生活が全てストップする日が続き、その後も治らないままズルズルと長引いていました。聞けば周りの人も同じような症状。皆総じて長期化するらしく、37度〜38度半ばくらいまで発熱しているようです。
授業を結構休んでしまったのが痛いですが、再発しない程度に頑張ります。みなさまもお気をつけて。

2011年11月20日日曜日

My Sweet Canary

ヘブライ大学の先生二人に薦められて、「My Sweet Canary」という映画を週末に観に行きました。実はエルサレムで映画を観るのは初めてです。
(公式ホームページはこちら:http://www.mysweetcanary.com/)


この映画はRosa Eskenazy(19世紀末〜1980)という、セファラディー系(1492年にスペインから追放されたユダヤ人の子孫)女性歌手を巡るドキュメンタリー。三人のミュージシャンとともに、彼女の生まれ故郷イスタンブル、家庭の経済苦のために移り住んだサロニカ(テッサロニキ)、その後活動の中心となったアテネ、を、彼女の作曲した様々な曲の演奏を交つつ巡るロードムービー。

この人のことを不勉強故全く知らなかったのですが、かなり興味深いというかなんというか、激動の人生を生きた人だなあ、という感想です。
音楽的には、これまた不勉強でよく知らないのですが、ギリシャの大衆音楽で20世紀前半から大きな影響を持った「Rebetiko」というジャンルのディーヴァ的存在で、誰からも愛されていたそうです。

彼女はユダヤ人の家庭に生まれたのですが、ユダヤ人であるという意識は希薄だったらしく、10代後半でキリスト教徒の男性と恋に落ち、駆け落ちして結婚したようです。その数年後に乳飲み子を残し夫はこの世を去ってしまうのですが、彼女は女手ひとつで子どもを育てながら歌手として生きていくのは不可能だと判断、子どもを手放します。

その後音楽的な成功を求めアテネに移り、そこでミュージシャンとして大成します。
しかしながらそうこうするうちに1940年にはイタリアがギリシャに侵略、その翌年の1941年にはナチスドイツにより制圧されます。
当時恋仲だったドイツ人上級将校の協力もあり、彼女はそれでも演奏を続け、偽の洗礼証明書を手に入れ、1942年には彼女自身のナイトクラブまで作ります。また対ナチ活動としてパルチザンを匿い、ユダヤ人を助け、彼女の家族もアウシュヴィッツ行きの移送列車から救います。

しかしそれも長くは続かず、ついに正体がバレ、三ヶ月ほど投獄された後、恋糸のドイツ人高級将校、及びギリシャ空軍に所属していた実子の助けによって放免、その後地下に潜伏したまま第二次世界大戦の終結を待ちます。

戦後は30歳年下の男性と結婚したり、アメリカツアーを行ったりとしましたが、60年代は活動が沈静化。その後あらためて音楽活動に精を出しますが、最期は孤独のうちに死んでいったようです。

激動の20世紀を生きた、一人の女性の軌跡。

イスラエルで作られた映画の割にはユダヤ色・セファラディー色・ユダヤスペイン語色がそんなに強くありませんでしたが、興味深く観ました。音楽も良かったのでサントラも購入。
日本で観れるようになるかどうかは分かりませんが、もし機会があれば是非。ヤスミーン・レヴィも出てますよ。




2011年11月19日土曜日

Travels to Yemen

エルサレムにイスラーム美術博物館(http://www.islamicart.co.il/en/travels_to_yemen_en.asp)というのがあるのですが、昨日そこの企画展「Travels to Yemen 1987-2008」に行ってきました。
そんなに大きくない美術館の特設なのでこじんまりとしてましたが、個人的にはこれくらいの方が一枚一枚の写真やキャプションをじっくり見れるので好きです。

個人的に面白いと思った写真は、ユダヤ人のお爺さんが聖書を上下逆さにして読んでいる写真。初め一瞬ヘブライ語が読めずに読んでるふりをしたのかと思っていましたが(失礼)、伝統の長いイエメン・ユダヤ人社会でそんなことが起きるはずはなく、彼らは上下逆さだろうが読むのに支障はないとのこと。
製本された「本」自体が貴重だったので、一度に一冊の本を複数人で読むために、このような「技術」が発達したらしく、本が十分にある現在も、伝統として次世代にもこの「技術」が伝えられているとのこと。面白いですね。

「次世代」と上に書きましたが、現在にもイエメンには数百人程度の規模でユダヤ人が残っているそうで、そのユダヤ人達はサトマール派(ユダヤ教の敬虔主義運動であるハスィディズム派の一派で、ナトレイ・カルタと同じようにイスラエル国家の存在を認めない)の援助を受けているそうです。(ラビ・)ユダヤ教に反する(と彼らが考える)国民国家イスラエルへの移住を阻止するために援助をしているのだとか。なるほど。

私自身は2006年にイエメンに行った際、マナーハという首都サナア近郊の村からハジャラという村に行き、そこで昔のユダヤ人地区を見たことがあります。

ハジャラ遠景
このように山に作られた集落なのですが、歴史的に上の方にムスリム、下の方にユダヤ人が住んでいたようです(ガイドの子ども談)。

ハジャラの旧ユダヤ人地区の住居跡
実際の住居跡はこのようになってて、もうハジャラには一人もユダヤ人はいないとのこと。現在はここはロバ小屋として使われてるとかなんとか。

上記住居跡の入り口部分を拡大。1268というアラビア数字が読めます。
ここハジャラではユダヤ人のジャンビーヤ(イエメン社会で男性が作る短剣のようなもの。社会的ステータスや所属部族などを表す)を買いました。

右手前にあるのが購入したユダヤ人のジャンビーヤ

イエメンの首都サナアはこんな感じです。

泊まってた宿から旧市街を見下ろす。

サナアの象徴の一つ、バーブルヤマン。

中に入るとこんな感じです。

近くでやってた結婚式の際の、伝統的な「ジャンビーヤダンス」

 昨日はイスラーム美術博物館に行った帰りにカフェに寄って、その後「My Sweet Canary」という映画を観ました、それはまた後日。

2011年10月16日日曜日

一般講演をしてきました。

こちらのブログで書くのは忘れていましたが、同じ研究科の牧師の先輩から頼まれて、本日10月16日、14時より姫路五軒邸教会にて、「イスラームから見たキリスト教」という題目で講演をしてきました。「アジアサンデー集会」という企画で、今年はイスラームをしよう、ということでお話が回ってきたみたいです。「他はどんなテーマなんですか」と訊くと、「貿易不均衡とか」という答えが返ってきました。貿易不均衡を頼まれなくて良かったです。

実際の講演では堅苦しい部分は最小限に、半分以上はイスラエルの写真等を使い、雑談を交えて話をしました。経験上、発表者が一番強調したい点よりも何気ない雑談が心に残るものですが、雑談すら残らないよりは、発表した甲斐があるというものです。

今まで学会発表というかたちで、研究者の方々の前で発表する機会は何度かあったのですが、一般講演というかたちは実は初めてです。
教会での講演ですので、クリスチャンの方々を対象にする、という前提が「一般講演」と呼べるかどうかは少し疑問ですが、「とにかく分かりやすく」というご要望。
60分講義+30分質疑だったんですが、まあ上手くいったようです。特に質疑が活発に行われたのは最近なかったことらしく、主催者の方は喜んでおられました。

一般講演で何が「うける」のかいまいち良くわからなかったのですが、今回である程度掴めた気がします。思ったより(新約)聖書ネタの反応がなかったので、次回から控えます。犬猫ネタはうけたので、これから同様の依頼があれば動物系でいこうと思います。

2011年10月7日金曜日

אם אשכחך...

エルサレムよ
もしも、わたしがあなたを忘れるなら
わたしの右手はなえるがよい。
わたしの舌は上顎にはり付くがよい
もしも、あなたを思わぬときがあるなら
もしも、エルサレムを
わたしの最大の喜びとしないなら。
(詩篇137篇5-6節、新共同訳)


こんにちは。皆さんはじめまして。

既にmixi、facebook(開店休業中)、twitterとやっておりますが、それとは別にブログを始めます。
今私はmixiはどちらかというと現実の友人用、facebookは海外の友人用、twitterは趣味用、と使い分けていて、それに加えてこちらのブログでは主に学術用・一般用にしようと思っています。
どうなるかは分かりませんが、現在のところ翻訳や学術的雑感等を載せていこうかと考えています。

さて、ブログには「今年はエルサレムで」とありますが、現在日本に一時帰国中です。
いきなり羊頭狗肉ですね。
今の時期はユダヤ暦では新年が始まったところで、イスラエルでは後数時間の後に大贖罪日に入ります。またもう少ししたら仮庵の祭が始まったりと、今月は祭りが盛りだくさん、それに従って大学等もお休みになります。

8月から約2ヶ月ほど、エルサレムのヘブライ大学でウルパンというヘブライ語集中講座に参加していたのですが、新年前に無事終わり、大学のセメスターが始まる10月末まで新年休み、ということです。
まあ、日本で用事があるし、ヘブライ語の復習もしないとえらいことになるし、と、やることは目白押しなのですが、目下時差ぼけのせい?でゴロゴロしています。花粉が酷くて頭痛くてくしゃみ止まらないんですよね。

どれくらいの頻度で更新していくかは分かりませんが、気の赴くままに書いていこうと思います。こういうのに書いて溜めておくのが後々に役に立ったりするんですよね。